これまでの日本の施政方針の流れからして解散請求は既に決定事項だ。請求されてから司法に委ねられることになるが、これも恐らく時間は幾らかかけて審議する風を装うものの、やはり決定事項なのだろう。私は日本の法治と三権分立は曖昧で器だけの内容の無さで、根底にその思想はないと思っている。よって暗殺事件からの教会叩きへの誘導と政府の判断も不可思議極まりない。教会の解散は遠くない未来に確実となると思っていたほうがいい。こういう見解に対して否定的でカイン的だと断定されるのが教会の空気だろうが、それはかつての日本の大本営的空気に流される国民と何ら変わりなく、しかしそんな言い掛かりで私の感情を刺激されることはどうでもよくて、それ以上に教会がなければ自己肯定ができない食口のこの先の方がよほど心配される。天の心配と希望は、教会べったりで最後には思考も感情も失いゾンビのように従うことだけに忙しくしてきた先天を卒業し、良心革命を為して天の代身と称する者による主管を自分の良心に取り戻す後天を生きるのが後天的信仰観であり摂理観だと目覚めることにある。教会が瀕死の状態であるのは、外的に反社だ反日だと攻撃されるからではなく、本当の問題はこんな状態にあっても「打たれた後には恵みがある」と能天気に構えている、責任感情不在の中心者、責任者や食口の烏合の衆が教会の魂を削いでいることにある。こんな状態にありながらも教会から闘う気概は全く感じられず、SNSで外部から「統一さん、もっと戦ってくれ」「なんで立ち向かわない」と教会の熱の無さに呆れられている。教会に魂が失われているのを見れば、天は既に教会の中にはおられないことがわかる。やたらに神殿建設に発破をかけられるが、神殿に神霊をどれほど感じられるだろうか。私自身は不信仰だと言われ様とも、神殿から神霊を感じられない。神殿実体を迎える為の神殿摂理であったはずが、真の父母の実体をやっとの思いで地上に迎えたにも拘わらず、摂理歴史を数千年も遡らせる神殿建設の意味や想いを教会責任者の言葉から全く受け取れない。
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