西洋と日本の根本的な違いは、西洋キリスト教社会は神によって万物は創造されたという被造物観、しかし日本は万物に神や霊が宿るという八百万神観が古来からある。西洋に於いて、この被造物観から造られた万物は神から人間に主管を委ねられたのであり、そこに必然的に人間中心主義(ヒューマニズム)が芽をだし、さらにヒューマニズムから科学主義(物質文明)が導かれてきた。日本に西洋文化がなだれ込んだ時、キリスト教の神観そして被造物観を差し置いて、先ずヒューマニズムと物質文明が広がりを見せた。それは日本にキリスト教が馴染まず、というか八百万神観という日本人の根底を正しく変える時間もなく、下手な接ぎ木状態で西洋文明を受け入れたものだから、ヒューマニズムは個人主義へとなだれ込んでいくだろうし、科学主義は物質万能主義へとなだれ込む。とりわけヒューマニズムが日本を士農工商の身分社会から立身出生によって身分に差は無しとなり、さらに個人主義(エゴイズム)へという流れを止めるのは、あえて西洋ではキリスト教によって浸透した規範を日本では天皇を神として奉る天皇制に差し替えられることで一応堰き止めることができた。大日本帝国憲法には第一条に「万世一系の天皇による統治」、第三条に「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言が謳われている。まさか草案した者達にそれだけの深い思慮思索があってのことではないだろうが、結果的に西洋に於ける神の存在が日本では天皇に置き換えられる格好となり、それが奇跡的に機能したということだ。しかし問題は天皇は創造神ではなく限られた朽ちる肉体を持って現世国家と密着している。武士道精神も相まって他国と戦っているうちは機能したものの、敗戦して人間天皇になるや否や天皇の言葉は力を持たず、日本は個人主義と物質主義の流れに歯止めは効かなくなってしまった。そして神に代わる存在を戴けず日本の精神の荒廃ここに至れりとなってしまう。
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