2025年6月27日金曜日

今日の想い 1390

 教会摂理の中で数回の祝福式があり神様王権即位式もありその他様々な宣布式も行われ、今回は入宮式も行われた。その都度言われるのは、これを超えると霊界が変わるという鼻先にぶら下げられた人参なのだけれども、言われてイメージされるような状況になったことはただの一度たりともなかったのであり今回も同じことだ。だから受けても参加しても意味はない、、と言いたいのではなくて、儀式とは霊的なことであるので直接地上でどうこうなるというものでもないし、当然急に霊的に目が開ける?などということもありえない。祝福式であろうが何であろうが、参加しろと言われるものは意味がわかろうがどうだろうがとにかく出て置け、と言われたこともあるが、参加することは良しとしてもそれで終わりではなく、意味を捉えてこそであるので意味を問い続ける意志を失うべきではないだろう。ただ参加はしました、しかしその意味は聞いても良くわかりませんでした、それでいいのです、というのではそんな軽い信仰観なのかといわれてしまうだろう。参加したことで満足している場合ではないはずだ。「尋ねよさらば教えられん」だ。絶対信仰でアボジの願いを受けて立ち絶対服従で歩むという御題目は立派だけれども、しかしそのフリをして自分をも騙す信仰もどきの体裁を繕い続けてもそこには至らない。至らないどころか逆に御父母様も自分自身も貶めている。霊的無知とは言い得たもので、神の存在だとか霊界の存在だとか論理的に受け取ると無知が晴れたように思うらしいが言葉を知るだけでは余計に霊的無知に陥っていく。霊的無知の克服はどこまでも内面をかき分け入っていって本質に出会わなければ表面的み言葉をかじったところで無知は増すばかりだ。

0 件のコメント: