本来の家庭連合へのシフト? ということは少なくとも会長は今までの家庭連合は本来の姿ではなかったと認識しているということだ。でありながら一般食口に対しては教会が名を変えただけの家庭連合を当然のように受け入れていることに対して認識を変えようとはしていなかったことになる。教会?には先天時代の意識そのままにアベルである中心の言葉そのままを受け入れる空気が未だ覆っていて、言葉の背後を見ようとするどころか疑問を抱くことすらカイン的だと思っている。中心者をどうこう言うつもりは毛頭ない。別に宗教組織であろうがなかろうがピラミッド組織とはそういうもので、お上の通りに動いたことで下位組織員は言われた通りやったという理由で責任を回避できる。その意味で一般食口は組織に甘えている。お上が善だといえば善であり、悪だといえば悪になる。深い瞑想や熟慮によって良心に問う面倒臭さはない。返す返すもアボジが家庭連合を立ち上げられた時点で教会組織をスクラップしておけばよかったと思う。現世界に対する責任は回避できたとしても霊界では自分の歩みに対して責任は回避しようがない。今は社会においても国に於いても、またグローバル組織に於いても旧態依然のピラミッド組織ではやっていけない時代に入っていて、その混乱を見ている。ということは既存の組織に属さなくとも認められる時代である訳で、教会の中心者を通さなくともそれぞれの良心から直接願いや使命を受け取ることができる。その代わり当然のこととして責任は良心に応えるかどうかの私にかかる。アボジが話されていた選挙のない社会とは首長を立てなくても生活できる社会であり、家庭連合は良心連合として先端意識で世界を牽引していた、はずだ。
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