父が20日間の入院治療を終えて取り敢えずは帰ってきたが、決して良くなって帰ってきたわけではない。母は父が何かある毎に、人間そう簡単に生を終えられる訳ではないとしみじみ口にする。今回も何を口にしたかと言うと、「まだ逝けずに戻ってきた」が開口一番だった。父は動きも遅いし足も悪く度々粗相をしでかす。紙パンツは履いているもののその始末は大抵の場合母がすることになる。要介護で介護ベットも入れたしポータブルトイレも用意したが、しかしそれで母の老々介護が楽になる訳ではない。でもその辛さからつい出た言葉というのではなく、近々の自分のことも含めての、死そのものに対する思いだというのはよくわかっている。食口は生死だ霊界だと常に口にしながら、死を間近にしている者とは随分距離があり寄り添おうともしなかった。決して皮肉で言っているのではなく、願われたみ旨とノルマで精一杯で、死人は死人に任せて置けが当然だった。私が決意して事業を閉め帰国するに当たっても、サタンだ何だと批判はするも自分の思うところを頑張れとエールを送ってくれる食口はいなかった。私は不信仰者の烙印を押された。それでも自分としては親を無視できなかった。親から見れば長男としてそれなりの期待もしていたろうに、その想いを一蹴して縁を断ち切るようにこの道に入った。私のみ旨は親の、子に捨てられた思いによって支えられてきた。そこを無視してでも留まれという中心であるなら、その中心に神は働いてはいない。しかし当時の中心は頸を傾げながらもOKは出してくれた。御蔭で今、私は私自身の昇華に対してしっかり向き合い歩んでいる。その一里塚が父の門、そして母の門、おそらくその次にくぐる門として妻の門、その後に私の昇華門が見えてくる。母が言うようにそう簡単に門をくぐることはできないし、門を見出すまでの内的霊的道筋も探り探りだ。それは本人もそうであり周りもそうだ。しかし逃げてしまうのは愛の道ではないと思う。それでも皆は死人は死人に任せて置けということらしい。
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