2025年7月29日火曜日

今日の想い 1401

 入宮式が終われば霊界が一気に開け、天運到来で解散問題も解決し教会は大きく発展する。そんな、教会儀式ある毎の御決り楽観的観測。もういい加減にしてほしいと思うけれども、そんな言葉通りのお花畑的な希望を、どれほどの食口が抱いて入宮式に臨んだのだろうか。未だに幼い子供に飴を与えるかのような感覚で教会員に対するものだから私達は一向に成長しない。一向に足が地に着かない。何の基盤もない。ここまで貶められ仕打ちを受けながらそれでも夢から覚めない。確かに多くの食口は天然記念物的存在なのかもしれない。入宮式が終わっても解散の流れは変わらないし、それどころか本元では国権から嫌疑をかけられたり捜査されたりして、韓国のメディアはこの違法性のあるなしに連日触れて成り行きをみている。元本部長どころか御母様さえ収監の可能性があるとなると、或る食口はアボジのダンベリーの時と同じ状況をそこに見るようで、神側は先ず打たれて後に勝利するというような、これまたより摂理としてありそうな見方をしているけれども、それ以前に果たしてこれは摂理と言えるのか、即ち神が認める真の母故の摂理なのだろうかということだ。アボジは御母様が勝利されることを願われながら聖和されたけれども、入宮式を終えられたから自動的に勝利されたというのは神のみぞ知るであって、その判断は御母様でもなければ、ましてや周囲の者でも一般食口でもないだろう。だから私としては何とも言えない。何とも言えないが、私の摂理的感覚からするなら、もし御母様が国家権力によって法的罪だと下され、収監されるなり何らかの受難を受けられるとして、その場でどういう態度と言葉を食口に、国に、世界に発信されるかによって、御母様が御自身で語られるところの位置の認否が神によって決められるだろう。受難を逃げずに堂々と甘受されるかどうかだ。アボジはダンベリーを勝利して出られたから、キリスト教を始めとする宗教界に認められ、そこからのアボジの摂理的行動には大変な勢いがあった。受難の場で本物か偽物かを決められてきたのはアボジもそうであり、イエス様であってもそうであり、あらゆる聖人君子も、そしてトランプでさえもその試練を通過してきた。もちろん私自身も、そして全ての食口も本物の信仰か否かの試練を必ず通過するはずだ。

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