2025年7月22日火曜日

今日の想い 1398

 今年もあの、8月6日が近付いて来る。一週間前一斉に蝉が泣き始め、子供達が学校から解放され、暑さによる琉汗で身を清め、次第に鎮魂の環境が整えられていく。しかし犠牲を供えた者達の恨みは何年も前から既に払われていて、本来なら式典の在り様から変えていくべきだと思う。彼等は被害者ではなく犠牲を供えた聖なる位置にある。この前、アメリカ軍によるイランの核施設攻撃の折、トランプが放った言葉が物議をもたらした。「広島と長崎の例は使いたくないが、あの一撃で戦争は終わった」。原爆投下を正当化しているとの批難の声がマスコミに踊ったけれども、言い回しではなく、その言葉自体に噛みつくのは間違っている。敢えて、使いたくないがと前置きしているのは被害を被った関係者への配慮からで、それでも広島長崎の言葉を使ったのは原爆使用で取り返しようのない事態に至ることを使用国故に両国に思い知らすことにあった。逆に私はトランプの言葉を受けてよくぞイスラエルイラン両国、そして世界に向けて広島長崎を発信してくれたと思っている。トランプ関税による各国とのディールまたディールで、自国アメリカの延命に汗をかいているトランプだが、しかし意外と人情に篤い面も見るし、他の大統領はというとただただ避けるばかりで広島のヒの字も口にしたことはない。私にとっても、世界にとっても広島長崎は聖地だ。触れたくも近付きたくもなかった、県民の趣味を疑うほどのお化け屋敷、その平和記念館も数年前から見るに堪え得るものとなったし、駅も改築改装されて賑わっている。完璧なる荒廃から数年で復活復興した広島は奇跡でもあり希望の都市そのものだ。熱射被爆の人々で埋め尽くされた幾本もの川面も、今では光の帯となって緩やかに流れている。

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