2025年12月5日金曜日

今日の想い 1424

 私達が節理路程を歩んできて引き継いだもの、アボジから相続したものは別に教会が存続しようが解散されようが消え去るものではない。それは私達の心の中にあるというような、そんな慰めでしかない軽々しいものではなく、霊的な大河となり脈々と流れている。食口によっては何の苦労もなく涙も痛みもなく、飄々と歩んできた者も中にはいるのかも知れないが、多くの食口にすればこの世的平安と喜びを遮断し、トラウマにもなる地獄の歩みを貫いてきた。当然抱えきれない恨を抱え、乾ききって表情から感情もなくなるほどに涙も流してきた。それが苦労の百科事典だとアボジが言われるように教会食口の歩みだった。韓国は儒教文化だから教会も先輩家庭を重んじるのは当然だとしても、実績を要求されて前線で歩むのは一般食口であって、位置のある中心者は上意を下々に伝え、一般食口から実績を集めればそれで終わりだろう。そんな思いは今の今まで常にあり、誉は常に先輩方がさらっていくという何とも理不尽な思いに溜息が漏れた。しかしより苦労した者が最後には勝つのであって、その意味は本質のところの心情を受け取れると信じてきたし、それこそが摂理を担い歩む者の王道だと今では断言できる。先の者が後になり後の者が先になる、とは下の位置で誰よりも苦労すればこそ心情に通じ天に近くなるということだろう。昔、小岩あたりの商店街でタチカンしていて、しかし直ぐにもしょっ引かれ、ダンマリを決め込んだものだから鳩尾に何度かゲンコツを喰らい、痛みに耐えながらもこれで今日の実績は追及されないと安堵を覚えたことがある。教会が解散要求されて先ず思ったのは、これで当分は食口も献金要求はされなくなるということだった。私の個人的思いだが、教会も摂理の歩みもこの世に証できるような立派なものだとは思わない。謂わばこの世の欲を捨てた者達に契りを誓わせた、アボジを統領とするヤクザ稼業であって、しかし天のヤクザであって苦労すればするほどに何某かの天の心情を受け取り離れられないものだから、ヤコブの知恵で突っ走ってきた。解散がいいとは思わないけれども、一世にすればやがてはこうなることは推測できたはずだ。しかし蛇の道は蛇で、ロシアが生き延び北朝鮮がならず者国家でも生き延びているように、解散されようが私達には私達の生き延びる道も、さらにより大きくなる道さえもあるはずだ。御母様の心中は正直わからないが、あの無茶苦茶なアボジの元で生きてこられたのだから私達が騒いで心配するようなかよわい御母様ではないだろう。この世から見ればヤクザ稼業だからムショに入ってこそ箔が付く、と言えば炎上ものかもしれないが、「平和の主人、血統の主人」にあるように、太平洋の逃避城に住むマフィアとはどうも私達のことを暗示しているとしか思えない。この世の権威者が私達を罪人の集まり、マフィアだと印を押している。この世が罪人と認める私達は逃避城に逃げて住み、しかし世界が行き詰まれば人類が頭を下げて私達の法を活用するしかなくなる。マフィア達が忠臣の中の忠臣となり、聖人の中の聖人となり、王の中の王となり、私達の祖国光復とならざるを得ない。