2025年12月17日水曜日

今日の想い 1429

 愛の成就こそが地球という星の最終課題だと思うし、私達統一食口であれば真の愛が最上級に尊く、真の父母の真の父母たる所以は真の愛を地上にもたらす御方ゆえだ。しかしながら私達の愛に対するイメージはあまりにも陳腐すぎはしないだろうか。訓読は信仰生活の一環だ。訓読を通して愛に関するみ言葉は多くを知っているし諳んじることすらできるだろう。しかし愛の本質を呻吟してでも掴みたいという意志がいつからか欠如している。私達は優しい言葉を語る、怒ることを抑え行儀よく接する、やるなと言われることはやらない、そして外に外にと押し出されてきた反動なのか家庭の中で納まろうとする。サンデー食口として教会に繋がり、流石に地獄に落とされることはないだろうと高を括っている。そんな生活が、そんな歩みが真の愛を目指す者といえるだろうか。アボジはそんなこじんまりとした人間になることを願われたのだろうか。絵に描いたように道徳的な生活と教会に真の愛は芽生えない。混沌とした泥沼の中から純白の蓮の花が咲くように、喜怒哀楽入り乱れ善悪の混在した混沌の堕落世界だからこそ真の愛の花は咲くことができる。堕落だ非原理だと垣根をつくりその内側で安泰するのではなく、社会に飛び出し堕落圏の中から真の愛として咲かせる要素を集めて抽出すべきだ。極端な例をだすと性愛は堕落の花だ。しかし性愛も心情圏に接ぎ木させることで真の愛の花となる。真の父母に繋げることの本質は、ただ表面的な祝福を与えてよしとするのではなく、しっかりと真の根に接ぎ木させることだ。だから食口は教会内に留まらず泥沼の社会に飛び出し身を晒すことだ。そこで間違いを犯したり失敗することもあるだろう。しかし少々の間違いで堕落だ不信仰だとレッテル張りをしないことだ。祝福を通して霊的な本質に繋がった者は堕ちたところからそこを肥やしに立ち上がり飛翔する。祝福二世を信じるといいながら、やっていることは教条で羽交い絞めにして檻の中で飼い慣らしている。

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