2025年12月29日月曜日

今日の想い 1431

和を以て貴しとなすと言う。日本人という社会は和を大事にする社会だ。それは決め事でそうしようとなったのではなく、日本人の在り様として本来そうなっているのだろう。俺が俺が、ではなく、周りに合わせて空気を読んで生きる社会が日本社会だ。教会とて日本の教会は日本人の集まりだから他の国の教会とは違い、アメリカでは思うことが言える自由の空気が溢れているのに対し、日本では思うところあっても周囲に合わせて自分を抑え、波風を立てないようにしている。日本人の優しさは和を大事にすることからくる優しさだろう。和を乱す人や行動に対しては、優しさの感情を否定して無関心無表情を装う。それが今まで何度も触れてきた日本の村社会であり村八分だ。無関心は怒りをぶつけるよりも非情だ。それは人格の否定だ。和を乱す存在に対しては信教の自由どころか生きて存在する自由すらあり得ないというのが日本人の感情だ。もちろん建前としては守られる法も言い分を許容する場もあるにはあるが、本音は違っている。どうしても教会解散に関することに筆が進みがちだが、そういうことを言いたいのではなく、実は日本人の優しさの正体を突き止めたいと思ってこの回は始めた。美徳としての柔和と日本人の優しさとの違いだ。日本人の優しさは条件付きであって美徳の顔をした方便に過ぎない。そう言い切ってしまうと断定になってしまうから、そういう場合が多いと言うに留めておく。今年は外国人問題が噴出した。敢えて移民と言わないだけの実質的移民は相当進んで侵入していて、こんな田舎町でさえも市役所に行けば外国人だらけだ。特に中国人の侵入は目を見張る。移民が問題になるのはその質と量が話題になりがちだが、受け入れる日本自体その準備ができていないことのほうを問題にすべきだ。実は島国日本は内的に未だに鎖国していて、国際社会を勝手にイメージしその幻想を抱くことで開かれていると信じている。しかし日本人は未だに鎖国状態だから世界と渡り合える言葉を持っていない。ユダヤ人の半数がイスラエル国外で生活しているように、日本人も相当数国外に出てチャンネルを持たないと鎖国意識は変わらない。文字通り日本の常識は世界の非常識だ。日本人の優しさが逆に世界から反感を買う。


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