疲れずに頑張りなさい。そんなふうな言葉を昔かけて戴いたことがある。今はどうだろう。疲れたからなのか何なのか教会も食口も覇気は既にない。去勢された牛のように皆が皆おとなしい。今こそ闘うべき時なのに、敵なのか恩讐なのか最後の追い込みをかけられているのに恩讐を愛そうなどと言い訳を立てて一向に拳を上げようとはしない。男性が誘惑から逃れる為に視線を下げて歩み、アダムエバの教条を守るために相当の意識とエネルギーを費やしてきたものだから、去勢されたようにおとなしくなってしまったのはよくわかる。しかし女性にとっては男に媚びを見せる必要もないし、どれほど小汚く紅すら引かなくとも相対は与えられ、アボジを慕う一心さえあれば突っ走れる。この教会は女性が先頭に立つ教会であったことは間違いない。しかしあまりにも厳しすぎる献金路程に走り過ぎた。強い女性であっても流石に精魂疲れ果てている。では二世はどうかというと、一世の家庭出発が遅くなったものだから大抵の親は親というより祖父母の年代に近い。二世を孫のように育ててしまい、また中心からの願いに応えるのに必死でまともに子供に向き合う余裕はなかった。二世の成長期は放任されたままか、或いは教条的戒めを押し付けるかに偏ってしまって、家庭を飛び出した二世は活力があるのに対して、多くの二世もまた覇気はない。少なくない教会の賛同者は口を揃えて、この期に及んで闘わない私達食口こそが問題だと指摘しても、それでも私達は腰を下ろした牛のように動かない。闘わない時点で既に投げ出していると彼等にすれば思うだろう。もちろん声を上げる者も中にはいるが、そんなちらほらじゃなく皆が皆立ち上がり叫ぶべきなのに、私達の中に義憤という感情は失せてしまっている。殺されるほどの身の危険を覚えるか、少なくとも凍る海に突き落とされるかのショック状態を経験し、霊肉の眼が開いて光を放つほどにならなければこの群れは変わらない。もしアボジが御存命であればどんな指示を出されるだろう。責任者打ち首、一世は指詰め、となると食口は目が覚めて奮い立つだろうか。
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