2025年12月11日木曜日

今日の想い 1425

人間が堕落した存在だということは神とサタン両方に首を垂れる矛盾だらけの存在だということだ。しかし同時に相反する要求に応えることはできないので、こちらかと思えば次の瞬間にはあちらへ、朝に忠誠を誓えば夕に裏切るというような、常に神とサタンの間で揺れ動いている。信仰を持ったからといって、また祝福を受けたからといって急にその在り様が変わるはずもなく、食口は堕落性を抑え込みながら善人然とした皮を被りながら摂理の歩みを進めていく。皮を被っていようがいまいが所詮中身は偽りだから、合わない服を着ているようなぎこちなさは残る。自分は優しいようで冷たく、頼りになるようで当てにならないということで、付き合いの中で真に親友だと言えるのは、、正直私には悲しいかないない。この世の人達は自分も他人もこの社会も、当然のように理不尽だということは良くわかっている。しかし彼等がその心を開いて友だと言える関係性を築くとすればその正直さ故だろう。私達は他に対して本当に正直だろうか。少なくとも私自身は他に対してどころか家族にも自分自身に対してすら被り物の内側全てを晒してはいない。そんな状態でみ旨だ摂理だと大仰に語ることに恥ずかしさを覚えるし、かと言って自分の醜さを晒すのも恥ずかしい。今回のこの解散請求騒動で、図らずも私達は初めて全国民に対峙することとなった。それもメディアの偏見と左派の横暴をまともに受けながらこの世に晒された。勿論私達の正義としての言い分はあってしかし叫べども国民には届かずという想いは食口皆にあるだろう。自分にもそれはあるにはあるが、その想い以上にどうして私達の人間性を訴えることができないのだろうかということだ。今回辞任されたが教会長は素晴らしい方だ。人格もあり頭も働き対社会では申し分のない御方だが、しかし国民はその隙の無さに引いているのではないだろうか。彼等にとってはそれはマインドコントロールで作られた機械的人格であって、一般的人間性から乖離しているようにどうしても見られてしまう。私のような罪人然とした食口も多いのだろうが、かといって教会への不満をぶちまけられる訳でも堕落性や矛盾性を晒してしまう訳にもいかず、自分も含めた全ての地上存在への当然のような理不尽を突き付けられている。

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