2022年10月15日土曜日

今日の想い 1195

 過ぎてみれば愛だったというアボジの言葉は、過ぎてみればそうなのだが、その只中ではとても愛とは思えないという意味だ。働けどはたらけどなお、我がくらし楽にならざり、ではないけれども、もういい加減疲れ果てているのに、私の平安はいつ訪れるんだ、地上天国は一体いつ為されるんだと愚痴の一つも口を突いて出てくるだろう。献身するときは、三年で天国はできると当然のように言われて年数を数えてきたけれども、今となれば騙されたということになるのだろうか。親にもそのように言って、三年だけ好きなようにやらせてくれと言って出てきたから、親こそ騙されたと思っている。何をもって地上天国の完成というのか、おそらく誰に聞いても明確には答えられないだろう。そんな誰も答えられない理想を掲げてここまで来たのであり、借金や破産までして摂理に応えようとしたのであり、確かに周囲から見れば狂った人種で不気味にさえ覚えるのかもしれない。その国民的恐れが解散命令の大合唱に繋がるのだろうか。思うに人間が地上に生まれるには宿命もあり使命もあるのであり、もし真の愛の地球村となり地上天国が完成して果たすべき摂理的使命がないのであれば、もはや人間が地上に生まれる意味があるのだろうかと思ったりする。人類が地上にいるということは、未だ地上天国完成を見ないその途上だということだろう。創造原理に正分合作用というのがある。正はわからずともあらゆる状況で右と左に分かれているのはわかる。私の立ち位置が変わる毎に必ず相反する存在が現れる。私の内外に関わらずこの世を去るまでその攻防が続く。同じように家庭、社会、国、世界に於いても常に何らかの攻防があり続いていく。様々な相反する攻防を続けてきてついに地上を去る時、過ぎてみれば愛だったと、正分合の合の結論として天に報告できる私でありたいが、これからもっと核爆弾級の攻防戦が待ち受けているのかもしれない。

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