マスコミもマスコミの決め付けをそのまま受け止める国民も、既に教会に対して穿った見方しかできないようになっている。偏った耳目に対してどんな改革案を出そうが説明しようが、彼等はあら捜しにのみ没頭し、出れば出るほど生贄として扱われ悪魔の燔祭に祭り上げられるだけだ。どうして責任者や指導部は正義の仮面を被った偽りの蛇たちの本質がわからないのか、わかっていてもその戦法を取らざるを得ないのか、私には教会の出方の方がまるっきりわからない。先ずこの期に及んで会見などすべきではない。生贄の供え物としてわざわざ出向く必要は全くない。悪神は神が裁くのではなく、悪神は別の悪神との利害の取り合いで潰し合う。その意味では放って於けばいい。もし会見するのであれば、教会の罪の部分と同時に功の部分もしっかり訴えて、その上で宗教法人格を返上して事実上の解散会見とし、追及することに嬉々としているマスメディアの拳のやり場を失わさせればいい。このままリングに上がり続ければより深みを追及されるのであり、ついには御父母様に及ぶようになる。暗殺事件の真相を阻む悪神が背後で跋扈しているが、殺人も厭わない連中との諍いはマスコミを操る者との間で必ず起こる。それも遠くない時期に起こる。既に利害関係が食い違ってきている。そのように死人は死人にまかせ、悪神は悪神に任せておけばいい。しかしながら教会が本来の摂理と大きくベクトルが変わったことが今回の一連の問題の原因になっていることはその通りで、打たれるには打たれるだけの原因がある訳で、しっかりと悔い改め葬るものは葬り本来の摂理的方向に舵を取る必要はある。この結果をもたらしたのは当然指導部でありながら、その責任逃れは甚だしい。このまま追及され続け、御父母様の非難にまで及ぶとしても陰に隠れたまま息を潜めるつもりだろうか。そうなれば真に情けないの一語に尽きる。この群れは真の愛から一変して真の悲哀に終わるのだろうか。
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