2022年10月10日月曜日

今日の想い 1193

かつてないほどの注目を浴びている。決して気分のいい注目ではないけれども、それでもこれほどの注目を浴びたことはないだろう。会見すれば何を語るのか、日本国民が固唾をのんで見守っている。腹の座った食口であるなら、今こそ摂理を知る者として伝えるべき言葉を叫ばせてくれと思うはずだ。ここまで印象を悪くしたのであれば、或いはメディアによって印象操作されたのであれば、少々の改革案を出したところで言い訳としか受け取らないだろうし、解散命令以外このカルト宗教団体に突きつけるものはないという感情的結論を既に出していればなおさらだ。であれば今この時こそ決死の覚悟で、要するに解散覚悟で、平和ボケした日本国民の前で、善人面しながらイジメて潰すことしか考えていないハイエナメディアの前で、み言葉に流れる犠牲精神の何たるかを、そしてそのように行動してきた事実を誇らしく叫べばいい。教会や食口が犠牲になろうとも、それでも平和ボケでイジメることでしか自己認識できなくなった国民に、かつてない国家存亡の危機へ目を向けることを訴えればいい。一億の献金どころか国家の為なら生命も賭す覚悟を訴えればいい。もし数人だけでも神霊を受け取る視聴者がいるなら、その叫びが彼等の魂に届き真の愛のシードとして受け取り目覚めるはずだ。犠牲を供えずに愛を叫んでも、それは真の愛ではない。真の愛でなければ改心させる力はない。形而的言葉を失い精神性を捨て去った日本民族は、民族の誇りも意味も知らない唯物主義者の集団でしかない。打てども響かず、叫べども応えずの群れかも知れないが、それでも死生決断で訴えれば天は聞いてくださるはずだ。しかし責任者の中に未だ気概を備えた者が数人でもいるのだろうか、、。

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