2022年10月3日月曜日

今日の想い 1191

教会は苦労の百科事典だと言われたアボジの言葉を、最大に具現化してきたのが日本食口だろう。身も心も、なけなしの万物まで全てを捧げ続けた結果が、生活に困り果てるほどの現状であっても、それでも離れずに付いてきた。そこまで差し出しても栄光の喝采を得るでもなくましてや援助があるでもなく、更に追い打ちをかけるように事件からの教会批判に晒され、カルトとまで言われれば信仰に捧げた人生そのものを否定されたに等しい。追剥ぎに着ている服まで奪われ、更に心まで奪われてしまって空っぽの内面まで抱えているということか。アボジに帰依して、ただ願われた摂理路程にのみ忙しく、わき目も振らず季節も知らず時間を駆けてここまできたが、事件という躓き石に阻まれて初めて立ち止まり、立ち止まってみると初めて周囲の状況が見渡せるのであり、相対的にみて極めて独善的な、地に足がついておらない私達だと無理にではあるが認識させられている。それでも私達は地上天国という竜宮城に向かって歩み続けていると信じていた。すでに竜宮城に辿り着いて天国生活を謳歌した訳でもない。理想を遠くに捉えるでもなく、道中で強制的に玉手箱を目の前に置かれ、そして世間の圧力で蓋を開けてしまい白煙を浴びた。摂理に歩んだ過去の歩みの全てを、全国民の非難の怒号として浴びると一瞬で否定され、老い先短い力ない老体だけが世間の目に晒されている。今私達は全日本食口まとめて総括の時を迎えている。総括とは先天時代の歩みの否定肯定含めて清算であり、先天の私の死だ。しかし死は霊を知らない者達の観念であって、事実は新たな生への昇華だ。ありとあらゆる中傷罵倒を浴びながら私達は死、いや昇華を迎えて、後天に生きる新たな生の誕生を経験する。霊的に見るなら私達は二度目の生を生きようとしている。自己否定し、霊肉の父母からも否定され、更に国からも否定された全否定の死の位置から、新たに生まれて全肯定の立場で復活人生を生きる。

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