2023年10月5日木曜日

今日の想い 1266

私の言動は何かにつけて悲観的で否定的だと言われてしまった。突然の言葉にたじろぎ、言葉も返せずせいぜい苦笑いで胡麻化した。確かにそういうところはあって、痛いところを突かれたなと思い返してみたが、食口、特に責任をあずかる食口の何と楽天的なことかと、自分への意見は取り敢えず棚に於いてそんな思いがわいてきた。過去を振り返って思い起こせばなおさらにその思いは強くなった。今回の事件以降の食口達の反応もそうだが、どうも言うほどには悲惨さは受け取れず、この試練を乗り越えれば天の恵みにあずかるなどと、随分能天気に構えてどうでもいい、祈りとも言えない祈祷条件を供えていたりする。確かに未来志向は大切だが、それが楽天的とはならない。そして責任の重さをより感じれば感じるほどに、当然に悲観的感情を先ず覚えるはずだ。しかしその感情を乗り越えて自らの責任分担を全うすることに集中し、事の成否は天に任せ天が下すのを覚悟して待つということだ。悲観的切実な責任感情も覚えず、最初から楽天的に構えて振舞う責任者を多く見てきたが、決まって不本意な結果を見てきた。そういう無責任な臭いを放つ食口や責任者を私は信じない。そしてそういう能天気で無責任な輩は教会内に多い。皆を扇動すべく甘い夢を見させるという大法螺を吹きながら貴重な時を費やして、半世紀も経って伝道や経済の基盤という基盤が殆ど培われていないこのていたらくだ。

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