訪米されてACLCから歓待を受けられ、そしていくつかの決意の表明を受けられ喜ばれておられた。いつものごとく、摂理的催事の度に勝利的、希望前進的な発表が今回も為され、食口は浮ついた感情を高める。私はそれが現実逃避であって何も変わらない現状に満足しているとしか思えない。韓国教会を支え、米国教会を支えてきたのは、今解散請求が出されている日本の教会食口だ。もちろん米国摂理であるACLCを支えてきたのもそうだ。日本食口の生活を犠牲にし、そのやり過ぎから恨みまで買いながらもそれでも献金摂理を止めずに支えてきた。私は多くをアメリカで歩んできたから言える立場にないことはわかっているが、謂わば韓国も米国も日本の犠牲の上に胡坐をかいてきたのは事実だ。恨みまで籠っているその献金で一体何を、どういう基盤を築き上げてきたのだろう。ACLC、、? 今この時に御母様の前ではなく日本政府に皆が出向いて抗議すべきだろう。疲れて信仰の火の消えかかった日本食口に、内外のサポートを、それこそ生活を犠牲にしてでもすべきだろう。頑張れ頑張れの声だけ、熱の無い祈りの条件だけ、それが今の疲れ果てた母の国に対する態度だろうか。あまりにも幼稚すぎて、長い年月を通して一体み言葉の何を学んできたのか訝るほどだ。日本からの献金を当てにできないとどうなるか、その勘定だけはできて対処しているようであちこちの所有資産を売却している。要するに視野に入った自分の蛸の足を喰い繋ぎながら生きようという魂胆だ。確かに全国に作ろうとされている天心苑は素晴らしい恩恵かも知れない。真摯な祈りでこそ神霊を受け取れるのはそうだろう。しかし果たして食口達に、特に韓国や米国の食口達に、切実な想いとしての祈れる基台が備わっているだろうか。建物や場所だけ用意すれば神霊は、アボジの霊は降りてくるだろうか。仏つくって魂不在になる心配は私だけだろうか。もはや楽観的で幼稚なお花畑信仰では摂理は担えない。生きる道があるとするなら天からの大ショックが降りて、一端絶望の淵まで落とされてこその、そこから立ち上がる胆力の備わった希望的前進への道だ。
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