2023年10月2日月曜日

今日の想い 1265

 こうなることはわかっていたけれども、やはりそうなったかという、言葉にならない思いがある。それでもまだ請求は第一段階で、これから司法に委ねられて表向きは審議されるとして早くても一、二年はかかるだろう。しかし結果は既に決まっている。内部改革どころか内部から闊達な意見交換すら出てこない組織に堕し、変わるためには外圧しか当てにならないところまできてしまった。あれほどに身も心も捧げて投入してきた教会摂理だったはずなのに、方向性が歪められて久しく、修正しようもなくついにここにまで至ってしまった。私自身はもはや教会が存続することに何の意味も見出せないが、しかしこんな道義もない外圧で解散されるとなると、献身してほぼ一生を捧げて歩んできた身としては砂利石を嚙むような思いだ。それこそ私の青春を返せだ。初期のK会長の講演動画がアップされていたので、見るとはなしに見始めたが、まだ幼くも燃えていた当時の自分を思い出して目頭が熱くなってきた。こうなったのは他の誰の責任でもない。私を含めた全ての一世の責任であって、一世は被害者でもなければ他の誰かに責任を問える立場にはない。本当に正しい道だと信じて歩んだのか。おかしいことは分かっていながら声に出さないことを選んだのではないだろうか。灰を被って断食でもして形だけでも悔い改めるべきだ。そして重い口を開いて無理にでも責任者批判なり自らの想いをぶつけるべきだ。あまりにも一般食口はおとなしすぎる。昨日、また一人の先輩が霊界に発たれた。御本人は義憤の人であったから、誰彼構わずおかしいものはおかしいと声を荒げておられたが、それでも一点の曇りもなく発たれた訳ではないだろう。少なからず初期に復帰された一人として無念の想いを抱かれていたはずだ。その想いが病を一気に悪化させた。聖和の報せを受けて、一緒に歩んだ頃よく言われた言葉を今更に思い出す。それは「朝を奪われない者が勝者となる」という言葉だ。どんな牧会者ぶりして分かったような説教を受けるよりも、それは本人が貫いて得た生きた言葉だった。  合掌

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