2023年10月14日土曜日

今日の想い 1270

 ついに国家的鉄槌が振り下ろされた。裁判に入ると2年3年はかかるとか、国民国家ではなく現政権が判断したのであって戦いはこれからだとか、様々な言い訳が散見されるが、どれもこれも受けいれられない苛立ちと強がりに過ぎない。もし裁判で否決されたとしても政府のお墨付きはかわらず、これから信者の個人や家庭の生活場面にまで深く影響を受けることになるだろう。道義的責任からいえば、組織的献金強要があったということであり、ヤコブの知恵的責任からいえば、常識を乖離し世間や諸官庁を説得できないにも関わらず猿知恵のまま独善的路線を走ったということだ。これから差し押さえられる恐れのある教会経由ではなく、訪韓して信者が直接本部にCASHを渡すことで乗り越えられると、日本食口は献金するのが当然でどうにも献金することに飢えていると言わんばかりに、取り敢えず数千名の二世に動員をかけたらしい。本当にATMにしか見えないのだろうか、そこまでして日本食口は献金自体にこだわっているのだろうか。お金を出すことで世界を救うと口では言いながら、死後の明るい居場所を準備するため献金で天国の分譲地を買っているということか。そんな下心あってのことなら何の同情も得られないだろう。しかし私は今までの献金が下心でも惰性でもなく、純粋な他を思い世界を救う気持ちであると信じたい。人間は神との関係で堕落し、相対関係で堕落し、そして万物主管、お金との関係で堕落する。法外な値段であったり多額な献金量が問題だったと思っているけれども、差し出す方もそれを受け取る方もお金に対する価値が見出せなくなっていた、ということをわかっていない。万物主管という愛の行動であるはずがお金をモノとして扱い愛が関与しない、そうなると万物は必ずその報いを訴えて反乱を起こす。私達は信教の自由に対する迫害というていを取ってはいるが、実のところそれは後付けで、万物復帰に対する大いなる欺瞞、多大な誤解があって、それが万物の反乱を引き起こさせた。富を否定する共産主義者や金の亡者の金融資本主義者ではなく復帰摂理の担い手である教会や食口に於いて、万物の精神性を否定し続け、大量の万物を受け取る側も与える側もお金の価値への感性が失われていた。魑魅魍魎が跋扈する政治や社会にばかり目をむけてああだこうだいっているけれども、私達自身が良心に向き合いながら、摂理に対してどうだったのか、横との繋がりはどうだったのか、お金との向き合い方はどうだったのか、歩みを止めて胸の良心に聞いてみろという天の計らいがあってのことを無視している。

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