2023年10月16日月曜日

今日の想い 1271

報道特集を見るでもなく見ていたら、なんと尾脇先生と阿部正寿先生が今回の件に関してコメントしておられた。驚いた。まさかメディアに顔を出しコメントされるとは思わなかった。でもこの方達は霊感何某や高額献金には直接関わっておられない。解散の結果は残念だが仕方のないこと、とのコメントだと私は受け止めたがどうだろうか。言葉は簡単だが、その裏に隠れる想いまでは短いコメントからは伺い知れない。こうなった原因は傲慢さにあった、との言及や、肩を落とす現役二世に対してはこういう困難を乗り越えてこその信仰であって甘えが見えること、それは我々一世の二世教育に対する問題があったこと、等を短い言葉で指摘されていた。先輩家庭が声を上げないのは、かつての教会が変わり果て現教会の問題を自覚しているし、既に世代が異なり我々がしゃしゃり出る立場も意味もないと思っておられるからだろう。もちろん問題に直接かかわった方も全く関わってない方もいて、直接かかわった食口からは恐らくコメントはしづらいはずだ。私達の中に良心の呵責がある。良心の呵責というはっきりした自覚はないにしても、顔を上げて堂々と説明できない、偽ってきた過去の自分を振り返り、晴れ晴れとしないまずい過去があることは自覚している。良心革命による良心の時代に生きるにあたって、食口は自分の良心の声を聞きだすことから始めなければならない。良心は神様にもまさる、という言葉は、良心こそが今まで神と認識していた神以上の存在だということだろう。日本には日本特有の村社会がある。良心の声を聞かずに周囲に合わせて生きてきたのは、教会内に留まることだけのことではない、日本社会そのものが村社会に合わせてきた。声の大きい者に、怪しく周りを誘導する者にそれとなく合わせてきた。日本国民には自我という霊的柱は立っていない。地獄の蓋が開けられて魑魅魍魎が好き放題跋扈する日本の現代であればこそ、今こそ霊的柱を立てることが必要だ。そういう者しかこれからは生き残れない。周りをキョロキョロする自分から、しっかりと上を向いて天を捉え、神霊降り下る良心の声に従えばこその祝福家庭だ。

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