2024年10月29日火曜日
今日の想い 1338
2024年10月25日金曜日
今日の想い 1337
清平摂理が始まった頃の、あの当時の清平こそがザ清平だろう。裸電球が道端に並び、太鼓の鈍い音が響き渡り、ゴワゴワの野戦テントが連なり、その部落と化した一帯を冷たい雪交じりの風が吹きまくっている、あの清平だ。時代を数十年遡ったような矯正地区に放り込まれ、聖霊というよりは如何わしシャーマンが罪人を叩きまくる。それは如何わしければ如何わしいほど裏の摂理として役目を果たせる。以前にも清平について記したことがあったが、私は清平で大きな恩恵に与っている。今こうしてそれなりに健康で生きていられるのもその御蔭だ。だから決して否定的な立場ではない。私が荷物を置き寝起きしていたテントの正面に、小さなバラック小屋が立っていた。そのバラック小屋からは時々叫び声がしたし、気になって或る時室内に目をやると、頭から血を流している若い男が上体をユラユラと揺すっていた。私は見てはいけないものを見てしまったように思えて、その時は黙っていたけれども、次のセッションの間中どうしても気になって、終わると同時に班長に見たままを報告した。きっと大事件になるだろうと思いきや何事もなく、それから一週間後に救急車が来て運ばれていった。この一週間どう処置したのだろうと少し頭を傾げたが、報告した以上差ほど気にもならなかった。後で思うと精神的病に罹っていて頭を周囲にぶつけるかして傷を負ったのだろう。急にどうこうしなかったところを見ると、日常茶飯事な事柄だったのかも知れない。私の命も危うかったように、気管支炎や肺炎に罹った者も多くいたし、ある面如何わしいどころか危ないところだったように思う。でもそれでこそ清平だ。今の豪奢な建物が立ち並ぶ清平は随分と見栄えも違うし、霊的な背景すら異なっているように思う。人間自体に影の部分が必ずあるように、教会にも影の部分は多くある。BHもそうだろうしこの清平もそうだし、その他にも表ざたにできない事柄もあるがそれも含めて教会だ。他の宗教組織だってそうだろうし、勿論自民党だってそうだ。清濁併せ呑む器量がない者にああだこうだと言われる筋合いはない。共産党が何か付けこんできたら、間髪入れずあんたのところは人を殺めていると吐けばいい。ヨシフスターリンは浄化を理由に何十万もの大虐殺をやってのけた。毛沢東も何十万もの大粛清をやった。共産主義の理想は理解するところもあるが、しかしやっていることは殺人、虐殺、リンチと血塗られている。教会は人を殺してはいない。
2024年10月24日木曜日
今日の想い 1336
2024年10月23日水曜日
今日の想い 1335
こと経済に至っては共和党のトランプ候補になろうが民主党のハリス候補になろうがさして変わりはないかと思っていた。しかしハリスは今の経済政策である緩和策を続けるだろうから半年くらいはぬるま湯か更なる国債増加でバブル崩壊の先送りを図るが、もしトランプとなるとアメリカの中央銀行であるFRBにデジタル通貨の発行は認めないという発言が数か月前にあって、その意味するところは国家経済がFRBという国際金融資本からなるものに牛耳られていて国の基本である通貨発行権を握られている、というトランプなりの理解がなければそんな発言はしないだろう。もし通貨発行権を国家(財務省)が手に入れれば、国債を中央銀行が引き受けなければ通貨が市場に回らないという懸念はなくなる。と同時に今35兆ドルを超える莫大な借金を抱えていてそれを国家権力の意志でチャラにすることができ財務省から新たな新ドル通貨、トランプドルの発行ができる。そこまでトランプが画策しているのならバブル崩壊はハリス政権以上に間近なのかも知れない。どちらにしろ通貨を刷り過ぎたことによるバブル崩壊は既に決まっていて、ハリスなら先送りだが伸ばせば伸ばすほど崩壊の規模は倍々になるということであり、トランプならなるべく早く崩壊させてその規模を抑えようということになる。2025年危機説が巷で言われているが、こと経済に関しても2025年が過去の経済金融歴史になかったヒマラヤ級の山場となる。トランプはビジネスマンだし副大統領候補のバンスも経済に明るいから、金融経済をどう立て直すのか見ものではあるが、ここまできてソフトランディングできる道が残されているとはどうも思えない。
今日の想い 1334
岸田元首相はここ広島が地盤だ。まさかこれほどに世論迎合になびくとは思ってもいなかったけれども、期待に違わず、というか期待を超えてとことん日本を貶める方向に舵を切ってしまった。中でも教会を反社と断言してしまったのは歴史に残る大汚点だと思っている。教会がどれほど自民党を応援してきたか解っているのだろうか。党内左派だから党内の心ある議員の誰も彼に説明できなかったのだろうか。裏切りのユダがまさかこの広島から出たことは実に情けない。石破議員がどういう訳か票を稼いで総裁になり、今まで彼が言っていたことは何だったのかとあきれるほどに元首相の方針通りに言葉を変えている。いわば石破の皮を被った岸田首相の登場だ。石破は石を破壊すると書く。キリスト精神の破壊者にならないことを祈る。選挙会場で食口それぞれが誰とどの党に一票を入れるのかわからないが、恩讐になってしまった自民党をそれでも許し愛す、野党は益々反教会であれば自民党に頼らざるを得ないと判断し一票を投じても、それで世界の混迷の滝壺に堕ちる運命となった日本丸はもはやどうすることもできないだろう。元首相はあきらかに世論に押しつぶされる恐れから教会を反社と言明した。彼には、というか平和ボケした日本人全般に言えることだけれども、責められて村八分にされるという恐れが小動物のように魂の大方を占めており、自らの議員生命、社会生命を賭してでも日本国を想うという意志が魂の中心にはない。日本民族としての精神の支柱が立っていない。彼もその恐れから世論迎合(いやマスコミ迎合)して反社発言をしてしまったけれども、一晩の安らぎはあったかも知れないがより以上の恐れに今は苛まされているはずだ。その恐れから首相を降りたとは思うが、位置を離れたとしてもその恐れから逃げられない。それは一つの良心作用だからだ。もし己の良心に逆らえば良心は牙を剥く。私自身がそういう過去の悔悟があるものだから彼がどういう状態にあるかよくわかる。しかしユダにはユダの役目がある。ユダのやってしまった結果で他の弟子達は内面をイエス様に委ねて微睡んでいた立場を壊されてしまう。イエス様に責任を押しやってイエス様イエス様と付いて居れば良かった幼子の信仰から、自らで判断しその結果に責任を持たざるを得ない大人の信仰を要求される。私達食口も、反社のレッテルを貼られてしまい先天の信仰観という殻を破って良心を中心とする新たな信仰観を要求されている。
2024年10月22日火曜日
今日の想い 1333
社会は益々混迷を極めてきた。何を信じようがどこにいようが、そして何を抱え込もうがそれら全てが殆ど意味を為さず、そうなると己の良心に従う以外に平安への道は閉ざされている。日本も解散からの総選挙、アメリカも大統領選を含めた議会選挙で混乱し、BRICSの中心国家ロシアは中国や北朝鮮を巻き込むべく不穏な動きをさらに強めている。ことアメリカに至っては選挙自体が行われるのかどうかさえ定かではない。どう転んでもどう控えめに見ても世界中の大混乱は確定されている。それが新しい時代に入るスクラップアンドビルドの路程の破壊摂理なのかもしれない。謀らずもまさか教会の破壊から日本の破壊が始まろうとは思ってもみなかったが、そこが摂理を知っているつもりの私達の思惑さえ超えるところに本当の天の摂理は意志されるということだ。基元節こそがD-DAYのその日で、天軍が一気呵成に摂理を推し進めると、アボジもそのように言及されたし私達も理解していたけれど、アボジは御本人の聖和に端を発することがその意味だと理解しておられたのかどうか。どうであれ確かに今の今がD-DAYだと言われればこの混乱状態を見れば納得できる。今は何を信じようがどこにいようが内外共に平安な状態にはない。社会の荒波を泳ぐ人生どころか世界も人それぞれの内面も荒れ放題で、そういう状況下で食口がアドバンテージを取れるとしたら、しっかりとした良心という羅針盤を備えた沈没しないNEWHOPE号を魂として備えているかどうかだ。世間に不安が増せば増すほどに人々はNEWHOPE号を頼って集まらざるを得ない。信仰や宗教に敢えて触れずとも彼等の魂を救えるという本当の伝道活動ができるはずだ。
2024年10月20日日曜日
今日の想い 1332
言葉にすれば忌み嫌われて穿った目で見られるような内容であったとしても、私の想いの向かう事柄にはそれなりの本質が隠れている。だから無視もできないし、殊更に意識から遠ざければ済む問題ではない。あとからあとから寄せ来る波のように、頼むから認めてくれという叫びにも似た衝動が押し寄せてくる。気の遠くなるような世代を通して、延々と生命に関わり続け翻弄もしてきたこの衝動は、おそらくはイエス様にしてもアボジにしても、生身を持ち合わす存在であれば同じように関わってきたはずだ。死は距離を詰めていて、背後に目をやれば迫っている様を目視できるほどでありながら、私は未だに手をこまねいている。後どれ程の期日が残されているか定かではないけれども、残された期日の内に何らかの答えを出さなければならない。それこそ私の良心がもっとも願い、そして今までその結実を見るべく常に関わり合ってきた。それは決して社会道徳と教義箇条として護り抜けば全うできるというものでもなければ、かといってそれを否定して良しとされるものでもない。だからこそアボジが私達に委ねられた良心こそ福音であるし、良心の力を発揮すべきだ。良心は常に私と共にあるし、誰よりも神様よりも私のことをよく知っている。考えてみれば人それぞれであるのに、人によって霊的背景は全く違っているのに、恰も人としての取り決めが一つであるがごとくに他人を判断したり裁いたり、または他人の目を不必要に慮ったりするのはおかしい。私は私を翻弄し常に関わってきたこの命題こそが私の生まれた意味、生きる意味としての私の天命だと信じる。それに目を背けて蔑ろにする時間は私には残っていない。
2024年10月14日月曜日
今日の想い 1331
2024年10月5日土曜日
今日の想い 1330
ではお前はどうなんだと、当然口にした端から矢面になることは重々承知だけれども、自分が同じ言葉で非難されることも勿論承知だけれども、それでも口を閉じることはできない。私達は神様から幸せかどうかを問われている訳ではない。感謝しているかどうかを問われている訳でもない。問われているのは如何に摂理への責任を持ち、どう行動しているかを問われている。教えをしっかり心にとめ守っているだけでは信仰による自己満足の域をでないのであって、そんなことは進めるべき摂理に対する責任と行動の前にはあまり意味を為さない。すなわち摂理という大善に集中される生きた神との関係性は成り立たない。信仰の道に入りたての教育期間であるならそれも大事なのかも知れないが、信仰生活ウン十年でありながら、未だに信仰のイロハの段階であるなら選ばれて神から期待されている立場にはない。独生女御母様云々に批判の目を向ける以前に、アボジはどうして清平摂理、献金主義へとベクトルを取られたのだろうかという問いかけや、それによる食口の摂理観欠如との関係性は大きく関心あるところだが、それだけ食口達の蕩減は重かったという仮の結論で納得させてはいる。がしかし、摂理観が立ち、摂理への責任に対する感情と意志を持つ食口が数名でも立つのであれば、神は彼等をして摂理を進めていくのであって、そうなれば教会が解散命令を受けるとしても何の問題もないだろう。返す返すもこんな言い掛かりでぺしゃってしまい、ただ傍観しているだけの教会も食口達も、何よりも自分自身が情けない。
2024年10月4日金曜日
今日の想い 1329
人類を救うと大真面目に口にする。救いの意味が本当にわかっているのか大風呂敷を広げる。人類全てを祝福することで救いの摂理は全うすると信じている。御父母様を真の父母として受け入れ祝福を授かることで人類の平和は訪れるのだろうか。私達がイメージする理想世界はアボジが理想とされた世界と同じだと断言できるだろうか。私達が大言している一方で、人類はここに来て明らかにかの大戦以降最大の世界戦争勃発危機に瀕している。食口達は、教会は反社だと世間からいわれ差別的扱いを受けていることに沈んでいるけれども、国が実体戦争に巻き込まれて流浪の民とならざるを得なくなった状態を思うと、行動自粛して静かに目立たず隠れている場合ではないだろう。本当は国家危機、世界危機の今こそトーンを数段上げて叫ぶ時だ。教会は平準化によって大衆が受け入れる大乗宗教になるのは仕方のないこととしても、だからと言ってアボジから直接指導を受けた肝いりの一世が大衆化してどうするのだろう。食口の摂理観の欠如が今の今こそ憂える状況は過去にはない。アボジの為に死ねるならアボジが切実に願われた摂理に生命を賭して当然だと思うけれども、原理運動当時にはあった摂理観も覇気も今はない。壇上に立つ一世も二世にしても、この信仰を持って幸せですとか感謝ですとか、そんなことはいいから、国を憂い国の為に生命をかける気概を魂の言葉で国民に投げかけ訴える、そんな食口の一人すら果たして日本にはいるのだろうか。