2024年10月14日月曜日

今日の想い 1331

昔の、善とは言えない敢えて人間性を低めるような教会の歩みに対して、今更ながら恨み辛みを口にしたりSNSで上げたりしても、それで過去の歩みをクリアできるわけではない。多くの一世は突かれたくない傷というか負債があるものだから、教会が責められても敢えて表に出ようとは思わない。信仰二世が壇上で証すほどに誇りに思う親も中にはいるのかも知れないが、殆どは二世達に証しされるほどの人格が備わっているわけではないだろう。と言うか、小汚い活動に言われるがままに手を染めてきた。いわゆるヤコブの知恵というやつだ。日本社会そのものが村社会だから、当然日本人の集まりである教会にしても村社会で、なんだかなあと思うところはあっても中心者であるアベルに対して一言意見する空気も度胸もなかった。どれほど人類のメシヤを戴いて摂理を進めているという自負があったとしても、所詮村八分を恐れる堕落人間のムジナでしかない。何とも幼い信仰のまま、成長しないままここまで来たことが、外からああだこうだと責め立てられること以上に悔しい。確かに海外宣教に赴いて、命からがらの活動に専念した食口も多いだろう。そんな彼等の活動費を賄うという言い訳も成り立つかも知れないが、ある面魂の一部を悪魔に渡して立てる大善など何処かで躓くわけで、そんなこともわからず、というか見て見ぬふりをして活動をつづけながら、いつのまにか良心が麻痺したまま教会は大きくなってしまった。そんな塩かけナメクジの私が二世に伝えられることは、一世の素晴らしさを見ようとするのではなく一世を反面教師として踏み台にして進んで欲しい。こんな一世の子であることが恥ずかしいと、そんな怒りをバネにして社会でのし上がってほしい。ある程度の年齢になると親は苦労したんだなと思うとしても、年端もいかない者がお行儀よく親の素晴らしさを口にするのは気持ち悪いのであって、親の元を飛び出し反骨精神そのままに若い時間を生きるほうが社会で頭角を現す。

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