人類を救うと大真面目に口にする。救いの意味が本当にわかっているのか大風呂敷を広げる。人類全てを祝福することで救いの摂理は全うすると信じている。御父母様を真の父母として受け入れ祝福を授かることで人類の平和は訪れるのだろうか。私達がイメージする理想世界はアボジが理想とされた世界と同じだと断言できるだろうか。私達が大言している一方で、人類はここに来て明らかにかの大戦以降最大の世界戦争勃発危機に瀕している。食口達は、教会は反社だと世間からいわれ差別的扱いを受けていることに沈んでいるけれども、国が実体戦争に巻き込まれて流浪の民とならざるを得なくなった状態を思うと、行動自粛して静かに目立たず隠れている場合ではないだろう。本当は国家危機、世界危機の今こそトーンを数段上げて叫ぶ時だ。教会は平準化によって大衆が受け入れる大乗宗教になるのは仕方のないこととしても、だからと言ってアボジから直接指導を受けた肝いりの一世が大衆化してどうするのだろう。食口の摂理観の欠如が今の今こそ憂える状況は過去にはない。アボジの為に死ねるならアボジが切実に願われた摂理に生命を賭して当然だと思うけれども、原理運動当時にはあった摂理観も覇気も今はない。壇上に立つ一世も二世にしても、この信仰を持って幸せですとか感謝ですとか、そんなことはいいから、国を憂い国の為に生命をかける気概を魂の言葉で国民に投げかけ訴える、そんな食口の一人すら果たして日本にはいるのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿