2024年10月20日日曜日

今日の想い 1332

 言葉にすれば忌み嫌われて穿った目で見られるような内容であったとしても、私の想いの向かう事柄にはそれなりの本質が隠れている。だから無視もできないし、殊更に意識から遠ざければ済む問題ではない。あとからあとから寄せ来る波のように、頼むから認めてくれという叫びにも似た衝動が押し寄せてくる。気の遠くなるような世代を通して、延々と生命に関わり続け翻弄もしてきたこの衝動は、おそらくはイエス様にしてもアボジにしても、生身を持ち合わす存在であれば同じように関わってきたはずだ。死は距離を詰めていて、背後に目をやれば迫っている様を目視できるほどでありながら、私は未だに手をこまねいている。後どれ程の期日が残されているか定かではないけれども、残された期日の内に何らかの答えを出さなければならない。それこそ私の良心がもっとも願い、そして今までその結実を見るべく常に関わり合ってきた。それは決して社会道徳と教義箇条として護り抜けば全うできるというものでもなければ、かといってそれを否定して良しとされるものでもない。だからこそアボジが私達に委ねられた良心こそ福音であるし、良心の力を発揮すべきだ。良心は常に私と共にあるし、誰よりも神様よりも私のことをよく知っている。考えてみれば人それぞれであるのに、人によって霊的背景は全く違っているのに、恰も人としての取り決めが一つであるがごとくに他人を判断したり裁いたり、または他人の目を不必要に慮ったりするのはおかしい。私は私を翻弄し常に関わってきたこの命題こそが私の生まれた意味、生きる意味としての私の天命だと信じる。それに目を背けて蔑ろにする時間は私には残っていない。

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