2024年10月25日金曜日

今日の想い 1337

 清平摂理が始まった頃の、あの当時の清平こそがザ清平だろう。裸電球が道端に並び、太鼓の鈍い音が響き渡り、ゴワゴワの野戦テントが連なり、その部落と化した一帯を冷たい雪交じりの風が吹きまくっている、あの清平だ。時代を数十年遡ったような矯正地区に放り込まれ、聖霊というよりは如何わしシャーマンが罪人を叩きまくる。それは如何わしければ如何わしいほど裏の摂理として役目を果たせる。以前にも清平について記したことがあったが、私は清平で大きな恩恵に与っている。今こうしてそれなりに健康で生きていられるのもその御蔭だ。だから決して否定的な立場ではない。私が荷物を置き寝起きしていたテントの正面に、小さなバラック小屋が立っていた。そのバラック小屋からは時々叫び声がしたし、気になって或る時室内に目をやると、頭から血を流している若い男が上体をユラユラと揺すっていた。私は見てはいけないものを見てしまったように思えて、その時は黙っていたけれども、次のセッションの間中どうしても気になって、終わると同時に班長に見たままを報告した。きっと大事件になるだろうと思いきや何事もなく、それから一週間後に救急車が来て運ばれていった。この一週間どう処置したのだろうと少し頭を傾げたが、報告した以上差ほど気にもならなかった。後で思うと精神的病に罹っていて頭を周囲にぶつけるかして傷を負ったのだろう。急にどうこうしなかったところを見ると、日常茶飯事な事柄だったのかも知れない。私の命も危うかったように、気管支炎や肺炎に罹った者も多くいたし、ある面如何わしいどころか危ないところだったように思う。でもそれでこそ清平だ。今の豪奢な建物が立ち並ぶ清平は随分と見栄えも違うし、霊的な背景すら異なっているように思う。人間自体に影の部分が必ずあるように、教会にも影の部分は多くある。BHもそうだろうしこの清平もそうだし、その他にも表ざたにできない事柄もあるがそれも含めて教会だ。他の宗教組織だってそうだろうし、勿論自民党だってそうだ。清濁併せ呑む器量がない者にああだこうだと言われる筋合いはない。共産党が何か付けこんできたら、間髪入れずあんたのところは人を殺めていると吐けばいい。ヨシフスターリンは浄化を理由に何十万もの大虐殺をやってのけた。毛沢東も何十万もの大粛清をやった。共産主義の理想は理解するところもあるが、しかしやっていることは殺人、虐殺、リンチと血塗られている。教会は人を殺してはいない。

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