2026年5月24日日曜日

今日の想い 1469

 教会がなければ生きていけないという「すがり信仰」であれば、教会がなければ死ぬこともできないと思うだろう。要するに教会による昇華式を挙げてもらわなければ堕落人間の死去と同じで、神様(御父母様)と共にある位相にまで引き上げられることはない、すなわち地獄行きとなる、と信じていることになる。教会の人生とこの世の人生が異なることはそうかも知れないが、教会の食口ですら誰一人同じ人生を歩むことはない。同じように、同じ昇華式を挙げてもらったところで誰一人同じ昇華(死)の道を歩むことはない。死の意味も死の状況も死への道筋も全て異なっている。肉体を脱ぎ去って故郷へ旅立った後、或る霊界の落ち着き処に赴くとしても同じ位相、同じ霊界、同じ霊的環境ですらないと思う。昇華式という儀式を用意された意味は、興進様の死を御父母様の愛で乗り越えられた、その愛の勝利圏を私達の死に対しても同じ勝利を儀式を通して相続することができるということだ。死の概念から聖和の概念へと、アボジの勝利で転換された。それはアボジの愛の勝利の概念をどの程度相続しているかによるのであって、食口間でいう昇華式という形だけ押さえれば天国に行けるなどと思わない方がいい。教会に長く付き合うことで、或いは当然のように通いつめることで、儀式の形だけにこだわりすぎて本質を見落としてはいないだろうか。祝福式の形だけ、昇華式の形だけ、そして祈祷の形だけかも知れないし信仰ですら形だけかも知れない。教会の中に神様が認める愛がどれほどあるだろうか。家庭の中にこの世の家族を超える愛があるだろうか。私は愛の人格を求めているだろうか。

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