2008年2月6日水曜日

本質的変化

自分に巣食う無数の観念、それが偽りであるとも何とも判断できずに、それに頼るしかなく自分自身をかんじがらめにしてきた。そこから組み立てられる思考は掘り下げれば掘り下げるほど不気味な得体の知れない物をつつきまわすように、気持ちを鬱の極限まで引きずり込み吐き気をもよおす。内から込み上げるものに怯え、外から覆いかぶさるものにも怯える。そんな自分の置かれた状態から開放されるなど思っても見なかった。祖父は念仏を唱え続けていた。しかし唱えれば唱えるほどに落ち込む風にしか見えなかった。唱えている間だけは全ての不安が忘れられるらしい。しかし念仏を唱えた後、祖父の清清しい顔はそこには無い。お釈迦様も親鸞聖人も揺れ惑うロウソクの火に薄暗く浮き出る、自分に重く被さるものの一つでしかなかった。仏壇の中に恐怖はあっても救いのかけらも見出せないと思った。生まれ出でたことが恨めしかった。この土地を離れれば不安の化け物から逃れられるような気がしてひたすら都会を目指した。都会の高校に行きたいがためひたすら勉強した。勉強している間は思考の底なし沼から逃れることがある程度出来る。しかし気を許せば答えの出せない思考がまた始まった。思考の化け物に取り付かれる日々、この土地を逃れることに唯一の希望を託した。救いがあるなど思っても見なかった。自分は特殊な存在で誰一人同じ境遇にあるものなどいないと信じきっていた。誰かに救いを求めようとも自分が落ち込んだ底なし沼の説明ができない。足りぬ言葉で明かせば気が触れたとしか見られない。その当時、救いを求めるのではなく、どうやって不安思考に蓋をするか遠ざけるかをしきりに考えていた。教会に導かれたことで自分の中に一つの理念が芽生える。当初、その理念が成長しそれまでの訳のわからぬ観念が根こそぎ絶やされる等想像つかなかった。しかしその新しい理念で思考を組み立てることを少しずつ覚えると、その思考が光を目指していくのを実感していった。底なし沼で喘いでいた自分が光を目指しているのだ。それは本質的救いであった。しかしある程度の期間をおいて振り返れば確かにと思うが、あの日あの時と言って線を引けるほど極端な変化ではない。本質的変化は急激に訪れるものではない。よくよく注意しておかないと気づかないほどの時間間隔で、しかし確実にそして重々しく、「いつの間に、、、」と皆が口をそろえるように訪れる。謙虚なる畏敬の念と感謝の念がその変化を気付かせてくれる。

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