2008年2月13日水曜日

灯火

何とも言えない重い空気を感じながら新年を迎えた。一月が過ぎ二月に入ってもその感覚は変わらない。冬は冷たい雨や吹きすさぶ寒風から全ての生命が閉じられ身を護っているが、今年の冬は明らかに今までとは違う。厳しさを覚悟しろと言わんばかりの空気感が天候の様子にも人々の表情態度にも、そして営業の流れや従業員の内的様相にも感じられる。それはここだけではないらしい。兄弟店のあちこちでも様々な問題が噴出し始めている。経済が良くないから全てに下降意識が働く、おそらくそれも言えるだろう。卸している業者の営業に話を聞いても、どこの店も頭を振っているらしい。今年から本格的に経済が下降するのは前にも記したように解り切った事である。しかしそれだけではない。何かが漂っている。9.11、世界はどうなるんだろうという誰もがその時持った感覚、街は不気味にひっそりとし誰からも笑顔が消えたあの感覚、なんとなく似ている。誰もが暗い様相に染められつつある。明らかに神霊に反する暗い霊的要素に犯されつつある。昼最中でも暗い。しかしその空気感に身を委ねるようでは本質に生きようとする自分の存在意味はない。しかしだからと言ってカラ元気に過ごす事が問題解決にはならない。光り輝く太陽のもとではロウソクの光など存在感はないが、漆黒の闇が天を覆うその下では小さい一灯の存在感が際立つ。暗い様相に個人も家庭も国も世界も覆われる。誰もが光を見失いさ迷い始める。今まさしくその時が始まろうとしている。どれだけの期間を要して、人は光の価値、真の愛の価値に目覚めるのだろう。人類の目覚めが興るまで神はこの暗黒の期間を悪魔に許された。人類が悟ることを通して悪魔も救われる。よって全ての地獄の底がひっくり返され地上に悪霊と暗黒が溢れる。どんなに小さな灯であったとしても、それが真の父母から流れてくる愛であれば暗黒にさ迷う人々の心の目に留まる。初めて我々が真の父母の代身であることを実感するだろう。真の愛の尊さを身を持って実感するだろう。疲れ果てた心情を携えながらも真の愛の灯を灯し続けること、これから始まろうとするこの期間にこそ我々の本領は発揮される。誰もが認めざるを得ない真の父母の代身、再臨のメシアの代身、弥勒の代身となる。

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