2008年2月17日日曜日

四度目の開腹

腹を何度も割かれながら、その悲しい運命に苛まされ続ける日々にあっても、私は更に追い討ちをかける様に鋭い言葉を投げかける。それほどに身体を痛めつけてでも悟って欲しい内容が彼女にあるはずだと自分は見る。彼女の存在の価値はそれを本人が悟ることで認められる。その確信が彼女を追い詰める。小康状態にある時は自分の安らかな時を持ちたいという気持ちで他の思いを寄せ付けない。歩んで来たみ旨は苦労ではあっても自分の魂の肥やしとはなかなか受け止められないらしい。それほどまでに身体に苦痛を押し込まれながらその意味を問おうとする姿勢から逃げている。今は彼女に取って外的健康を取り戻すことだけが願いであると信じている。しかしその奥の魂の願いをなかなか見ようとしない。彼女の魂に対する責任が自分にある、というより彼女の魂は自分の魂でもある。そういう夫としての立場から彼女の姿勢は歯がゆい思いがする。魂の願いを悟り本質の歓びを知る時、肉体の苦痛を超え生死を超える世界が開ける。その次元に二人一体となって生まれ出でたい。自分のその願望が彼女を追い詰めてしまう。投げかける言葉の本当の意味を理解してほしい。しかし更に傷つける鋭い言葉としてしか受け取ろうとせず顔を背ける。数十年連れ添って、私は彼女の流す涙を見たことがない。どれほど傷つけたとしても頑なに偲び続ける。閉ざされた心を全開し、恨みが渦を巻いているなら罵るだけ罵り、血が滴る程に辛いなら声を張り上げ泣き叫んだらいい。更に、憎いなら拳を振り上げて掛かってくればいい。自分はそれを涙を流して受け止めたい。その責めがどれだけ心地いいだろうと思う。しとしと降る雨がその土地を潤すように、さめざめと涙を流すことで魂は潤う。潤うことで今まで気付かなかった溢れんばかりの宇宙の愛を受け入れる。自分が歩んで来た苦労の路程が神様の心情の路程にリンクする。初めて本当の意味で感謝の想いが魂を満たす。たとえ明日には朽ち果てる肉体であっても、この世への執着を超え新しい出発への歓びと期待に向き合う。

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