2008年2月22日金曜日
表現の自由
人間が表現してきたものの中にも感動に値するものは山ほどある。絵画にしろ楽曲にしろ書物にしろ多彩な閃きと創造に溢れている。表現できる自由を最大限に謳歌している。自分でも見ることが出来ない内面の深いところを形にしたい欲望が創作活動に向けさせる。しかし内面を掘下げれば掘り下げるほど自由になれない自分を認めざるを得ない。魂の自由をどこまで得ているかが表現の深さに比例する。本人が理解するしないに関わらず自分を問い根源的なものに対峙することでしか紡ぎ出せない。根源的なものを見失った人類は形からそれを求めていく以外ない。様々に創造された芸術を通して人間とは何か自分とは何かを問うてきた。人間を含む被造物を通して究極の存在とは何かを問うてきたように。形からしか本質に近づくことが許されなかった長い歴史を経て、本質を先ず知らされ本質から形を現す時代圏を今迎えている。無限大の魂の自由を得て無限大の表現の可能性を手にする。自由に生きることの本当の意味は根源的な存在に繋がって生きることを意味する。それを捉えることが出来ず自由はない。自由と思っていたものは囚われた想いでしかない。勝利された真の父母こそ根源的な存在に直結された目に見ることの出来る存在だ。真の父母の血の在り様、細胞ひとつひとつの形成に自分のそれを合わせること、こう説明すると理解を超えるかもしれないが心情、神霊を働かすことが鍵となる。完全に合わせること、型にはめて完全なる支配と締め付けが完全なる自由に繋がる。極と極は通じる。真の父母に全てを委ね侍ることで完全なる自由を得る。
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