2008年2月14日木曜日

冷たい雨が降る中を車を走らせた。強度の貧血で身体が上手くないらしい。昨日は夕方頃から氷雨が降り続き並木も電線も氷に覆われていたが今朝には雨に変わっていた。月に一度くらいの通院を続けていたが、また週に一度のペースでボルチモアのメディカルセンターに通うことになる。今まで何度も翻弄され続けて、さすがに妻の身体の変調に対してそう驚くことも無くなった。起こり得ることをそのまま受け止める。悟っているのか諦めているのか良く分からないが、前ほど心に波風は立たない。本人もそのような感じだ。さして不安げな様子もなく、買い物にでも行く感覚だ。雨は止む様子も無く、ワイパーのせわしい単純な動きがむなしい。この冷たい雨の中に身を置くことで何を学ぶのだろう。車に乗っている間、妻は前方を身動きせずに眺めている。眠っているのかと思ったが目だけは開いている。その表情に何の心の変化も表れない。心配でどうでもいい質問を二三して見る。それに応えてくれることでいくらか安堵する。昔は食欲旺盛だったのが今は鳥が突付くぐらいしか口にしない。水ばかりやたら飲むのを見ればなるほど鳥に近いのかもしれない。腕は枯れ枝のように細く殆どの肉は削げ落ちてしまった。妻の身体の軽くなった分、私の心は重くなった。、、、、しかしこの雨に身を置くことで自分が学ぶことは何だろう。誰もが忌み嫌うその中にこそ学ぶものがある。そういえばドナーが見つかり手術に行く当日も雨が降り始めた。妻は恵みのにわか雨と口にした。やっとのことで移植が受けられるという想いがあったのだろう。身体を悪くしてからのいろんな経験を反復していたのだろう。冷たい雨は誰をも無口にさせる。口を閉じることで内省を始める。いろんな昔のことが思い出される。皆の心が過去を向く。魂が清算すべきことを確認させるのかもしれない。雨に洗われた万物がその光を取り戻すように、魂を冷たい雨に晒して気付いていない大切な何かが洗い出される。悲しさも侘しさも自分の存在を知る尊い経験に違いない。しっかりとその感情に浸ることも大切だ。長い雨は魂の奥深くまで浸透し日頃見えない傷を確認させる。

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