2008年2月7日木曜日

終末そして新時代

自分がどういう存在であるかを知っている人間は殆どいない。自分の性格はそれなりに把握していても、それは表面的なもので移り行く自分の置かれた環境に対処する為の表現の仕方でしかない。それは自分としての本質とは違う。自分の性格のここが嫌だと言うように嫌だと判断する存在が性格の奥にあり、それを変えたいと願う存在が更に奥にあり、それを変えようとする意志の存在がまたその奥にある。そしてその意志がどこから来ているかを突き詰めていけばそこに自我の根を見ることが出来る。しかしそう簡単に自分というものを把握することはできない。瞑想すれば数分の間に何百何千という様々な取りとめの無い思いが湧いては消え消えては湧くように、荒れ狂う馬のような自分の内面を主管して本質を見つめようとすることは至難の業だ。自分の行動すら主管できないのに見渡す限りの荒海である内面は取り付く島などない。神の存在を否定して生きるということはその荒海のなかに揉まれながら一生をさ迷い続けることを意味する。人生を旅としてよく表現するが旅とさ迷う事とは違う。さ迷う事に、辿り着く目標も無ければ羅針盤もない。糸の切れた凧が持ち主の所に帰ってくる偶然は万に一つも無い。人間本来生まれながらにしてその出処を知る立場にあった。敢えて宗教に頼り信仰を持つまでも無く自我の故郷を知っていた。しかし強烈なある事件によりその故郷を見失うことになる。数万年の時を経ながら数十億の魂はさ迷い続ける。肉体を持ってさ迷い、死んで尚さ迷う。さ迷い続け悪を善だと悪魔に耳打ちされながら魂を奪われた者達はもはや聞く耳を持たない。蜃気楼を我が故郷だと言い張りいつ消えるとも知れない泡にしがみつく。親なる姿を現しても悪魔だと罵り、共に故郷に帰ろうと声をかけても無視し陰で嘲笑う。自分の子達だと騙し多くの魂を蝕み続け、この世の王として君臨し続けた悪魔も最後の時を目の前にする。光り輝く煌びやかな神霊が湧く泉の如くことごとく地上に満たされ始めると悪魔の正体は白日の下に晒され、その眩しさに身を焼かれる。一人のお方の犠牲と勝利が新生を宇宙の隅々まで行き渡らせる。自分の漆黒の内面が光に満ち、求めていたものが陰に過ぎないことを知る。光の出処に向けて万人が歩み始める。還故郷の時を人類は迎えている。魂から溢れ出した光が宇宙に溢れる。全ての万物が光り輝く神霊に満たされ万物達の新しい次元進化をこの目に確認する。

0 件のコメント: