2008年7月12日土曜日

逝去

フロアマネージャーの父親が亡くなった。兄弟は何人かいるようだが連絡を取って来てくれたのは妹ひとりしかいない。誰が当てになるでもなく、結局見取るのもひとりとなってしまった。マネージャーの彼女は、国許で世話していた兄夫婦がさじを投げてからアメリカに二親引き取り、二十年近く世話をしてきた。引き取った当時は70過ぎてはいても、まだ足腰もしっかりしていて住まいや食事の費用だけを宛がっていれば良かったが、80を過ぎると自分の身の周りのことさえ儘ならぬようになり食事の世話から下の世話まで全てを彼女はこなしていた。しかし毎日の昼のシフトや週末には店にいなければならなかったが、店の経営に支障を来たすようなことは一度も無かった。朝は親の面倒を見てそれから仕事をこなし、夕方は主婦の務めをして週末はディナーシフトも出ていた。更にマネージャーであれば出れない従業員の穴埋めもしなければならない。それら全てのことを立派にこなしていた。父親の様態は年を追う毎に悪くなり、最終的にはナースリーホームに預けることになるのだけれど、預けた後も毎朝通って身の回りの世話をすることだけは辞めなかった。亡くなった今になって口にしたことではあるけれど、父親は一人、妻や家族から離れてホームにいることが辛くなったのだろう。子である彼女に家に帰りたいと洩らしたようだ。引き取って父親の面倒を見るのであれば仕事を引かざるを得ない。彼女も相当に悩んだ。彼女に取って生活の為の仕事と言う思いより、私以上に自分に与えられたみ旨としての仕事の意味を理解している。悩んだ末、父親にはそれなりの説明をして何とかなだめたようだ。それ以来、父親の口からはその件に関しての話は無かった。彼女の立場を配慮して自分に言い聞かせたのだろう。私の父方の祖父も寝たきり老人であったし、子供は十数人いたにも拘らず皆それぞれの生活があり世話をする余裕など誰も無い。子供が薦めるに任せて特養施設に入ることを決めたが、入って半年も経たない内に亡くなった。気力の無い老人には心労が大きすぎたのだろう。子供に世話を掛けたくない一心で決めたことであろうけれど、悲しい。今回のケースもよくある話であったとしても彼女は彼女で犠牲を払い、父親もそれに従う形で犠牲を払っている。父親にしろ彼女にしろ最後の余生に犠牲を強いて、み旨を優先した意味は極めて大きい。そこに深く思い至らなかった自分は責任者として申し訳がない。彼女が臨終の様子を説明してくれ皆の祈りの中で安らかな最後だったことを笑顔で報告してくれたのが本当に救いだった。彼女も両親も、聖酒は戴いている。御父母様の一つの手足である店に対して私以上に貢献し、一つの犠牲を持って直接御父母様に侍った、誇りうる祝福中心家庭である。

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