2008年7月18日金曜日

地獄を天国に

情けない想いを何度も何度も味わいながら、それが家庭に取って、神様に取って、そして自分に取ってもどういう意味があるのかと問いたくなる。しかし意味があるから味わっている。意味が既に解っているのであれば味わう必要はないだろう。自分が身代わりとなって出来ることであればこうも悩まないものをとも思うが、しかしこれが家庭という意味なのだ。自分の為に悩んでいたものが自分の家族という単位で悩む。親の責任を放棄したおまえの撒いた種だろうと、せせら笑う声が背後に聞こえる。さもありなん、その通りだと何の言い訳をするでもなく自分を責めて戴ければありがたい。お前は何も悪くない、子供自身の責任だと言われようものなら、それこそ救いはないだろう。今の状態を決して天国生活とは言えないかもしれない。家庭地獄の中で呻吟しながら祝福家庭だ、み旨だと自分に言い聞かせて、それが一体どうなるというのかと声を荒げても、それでどうなるものでもない。この場を天国にするも地獄にするも自分しだいだろう。自分と家族を地獄に投げ入れたと責める相手は何処にもいない。親の想いが子に届かない。何処が塞がり何処でもつれたのか、届かないなら届くように努める以外ない。今どのような位置にあれ出発点はその位置から。過去に戻ることも良かれと思う位置に飛び越えることも許されない。一瞬一瞬の今を積み重ねることだけを等しく与えられている。

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