2008年7月6日日曜日

海 (2)

海水浴行事は毎年の恒例となった。畳ヶ裏の岩場にシートを広げて飲み食いしたり、砂浜にテントを張って飲み食いしたりと、大人は専ら飲み食いに忙しく海水浴を楽しむでもなく海を愛でるでもない。山猿で泳ぎなど誰も知らなかったし子供の自分も波打ち際で足を洗われる事だけで十分楽しかった。目の前に広がる紺碧の海を見ているだけでその開放感に満足していた。二度目か三度目の海水浴だったと思う。泳ぎはできないまでも真似事ぐらいと思い、足が届く位置を浜辺に平行して手で掻いて進んでいった。少し後を妹も付いて来ていた。いつの間にか砂浜に張ったテントが後方に小さく見える。平行に掻いてきたつもりが気持ち浜辺からの距離を増したように思えたが、足は届くから不安は無かった。妹もしっかり後を付いて来ていた。それまで大波など来なかったが急に海面が高くなり沖からせり出した波が襲ってきた。波に身体を預け送ったが、足が地に着かない。一気に嵩が増した。焦った。息を止め息の続く限り浜辺に向かって泳いだ、と言うよりもがいた。息も限界で立ち上がろうとしたものの足はまだ届かない。息を吐いた勢いで海水が入り込む。足が届かない以上口を開けても海水しか入ってこない。海水を思いっきり吸い込み喘ぎながら残る力を振り絞って更にもがき続けた。もうだめだと諦めかけた時足が底をやっと捉えた。辛うじて息衝いた。脱力感と海水でパンパンになった腹を苦しくさすりながら、その時妹の事に気付いた。急いで目をやると少し沖で頭が見え隠れしている。妹だと解るとひたすら名前を呼び続けた。もどかしかった。他に何も出来なかった。少しずつ少しずつ距離を縮めやっとのことで手を差し伸べるところまで近づくと急いで駆け寄り手を引いて浜辺に上げた。自分以上に苦しい目にあったはずで小刻みに震える唇は完全に血の気が失せ真っ白だった。海水も山ほど飲んだらしく腹は大きく膨れひたすらえづいていた。かける言葉もなく震える身体に焼けた砂をかけてやった。ふたりして往生した海を力なく眺め続けた。暫くその場で休み落ち着きを戻すと遥か先のテントまで浜辺を歩いた。海への開放感が一変に恐怖に変わった。足を引きずりながらやっとついてくる妹に、溺れかけたことを黙っているように告げた。妹は返事もせず黙って歩き続けた。親は二人で溺れかけたことを知らない。二人の間でもその事には一言も触れなかった。たまに帰って妹と昔話に華を咲かすこともあるが、その事に関しては未だに封印されている。余程怖い思いをしたのか、それとも兄の言うことは何でも聞いていたからか。

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