2014年12月30日火曜日

今日の想い 827

TWを早々に首になり、この世のホールセールでマネージャーとして歩んでいる兄弟が近くにいる。仕事の件もあってその会社に彼を訪ねた。妻の通院のために通い慣れたボルチモアへの道を同じように北上しながら、もう五分も走ればボルチモアだという、その手前のイグジットを下りた。以前に一度か二度は訪ねたことはあったが、ナビ頼りなのでほぼ忘れている。今回ももちろんナビ頼りだ。見覚えのある決して上等なウェアハウスだとは言えない建物の中に入っていくと、彼は背を向けて事務机に座っていた。振り向いた顔に老いなのか疲れが垣間見えたけれども、そんな感想は口にはしない。同じことが、いやそれ以上のやつれが私に見えることは確かで藪蛇だ。大雑把なビジネスの状況をお互いに交換すると、彼は上目使いにこんな質問を投げかけた。**さんの歩む力の源泉は何ですか。唐突だったからその質問の意味がよくわからず、逆に尋ねる表情をこちらが見せると、彼は言いたくて仕方がなかったように話し始めた。彼はTWを解雇された日が2月27日であることから始まって、TWで歩んだ期間が120数、TWのボートで歩んだ期間が40数、それらの数字に彼はノア路程とリンクする自分を見ていると言う。解雇された2月27日はノアが方舟から地上に降りた日だ。そのように彼はいつも数字や日にちに関心があって、その観点から歩みへの意義を知り、自分を中心とするみ旨へ向かう力としているようだ。雰囲気から少し変わった兄弟だとは以前から感じていたが、変わっているどころか実に数霊的な兄弟であることがわかった。ビジネスと摂理、生活と信仰をどう関連付けるべきかは信仰路程が実質的である為に必要であるけれども、その辺りを解からずに有耶無耶にしたまま歩んでいるか、はなからビジネスはビジネスと割り切って歩んでいるか、殆どの食口がどちらかだとは思っていた。そうなると仕事に向かう内的霊的な力とはならない。やらされ感に浸ったまま、一日、また一日の繰り返される労働でしかない。それは共産主義の世界だ。み言葉を掲げる共産主義だ。がしかし、こんな近くにそういう意識を持って歩んでいる兄弟がいることに気付かされ、自分の余りにも食口に対する閉ざした内的態度を霊界から指摘されているようで、悔い改めるべきだと思わされた。店でも以前、数人の食口の従業員とそんな観点から意見交換する花咲会を造ったことがある。しかし今は集会を持つこともなくなってしまった。店のマネージャー達も集まってスカイプ会議を月に何度か持っているが、会計の数値のことは話題に上がっても、ビジネスと摂理の深い関係性等については話題に上がらない。ビジネスはビジネスであり、そこからはじき出された利益だけが摂理的に意味があり、内外に払わなければならない日々の労苦の意味など関心事ではないらしい。だからミーティングに出ても誰も本音で話そうとはしないし力が出ない。そして新しいアイデアも出てこない。アイデアは外に外に目を向けてこそあると思っていて、やたらに新情報には喰らいつくけれども、実は私達の歩みの中に新たなアイデアは潜んでいる。新たな価値創造の芽は外にあるのではなく内にある。正直を言うと私は基準が下がっている。今の体制だと苦労してどんなに利益をはじき出すとしても、目新しいがしかし実のない虚の企画に接ぎ込まれて一瞬で消えそうで、その意味でもやる気を削いでしまう。

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