2014年12月24日水曜日

今日の想い 824

霊的見地に立つ者は必ず霊的に導かれるし、外的なものを重要視する者、すなわち外的要因に左右され踊らされる者は霊的なものを見落してしまう。外的に問題が生じればそれを解決しようと内面に於いて戦いが始まる。それは誰もそうで、そうである以上人間として抜きん出ることができる訳でもないし、誰もが想像だにしない創造への混沌に突入できる訳でもない。仕方のない事情から問題が生じた場合、マイナスの位置に落とされている訳で、その時の戦いは元の位置への復帰の蕩減的側面が責任分担的側面よりかなり比重を占めている。人は皆安定を求める。それは本然の人間としての姿勢というより、既存の位置に執着する堕落的な姿勢なのだろうか。私達み言葉に生きる者の姿勢として、敢えて安定をかなぐり捨て、混沌に突入する勇気と覚悟を持たなければ、霊的開拓精神に生きる者とはならないだろう。この世的問題、外的問題に翻弄されるのみであれば、とても霊的に護られているとは言えない。そんな問題を物ともせず、霊的開拓精神に生きてこそ霊界は護らざるを得ないだろう。しかし、しかしだ。そんなことが現実的に可能だろうか。今ある平安を投げ打って、敢えて混沌と不安の中に突入する破壊的人間になれるだろうか。そしてそれが本当に天の願いだろうか。人間は平安を求めて当然だろう。人間が破壊的であればとっくに人類は消滅していただろう。私の事情圏、環境圏に問題が生じた場合、確かに平安な位置からマイナスの位置に落とされている。しかし元の位置への復帰を通り越して、更なる高みへと向かう霊的開拓精神をして平安であった元の位置を超えることができれば、蕩減的側面から責任分担的側面が比重を占めながら天の使命、願いを全うする存在になれる。よって打たれた時こそがより大きな責任を申し受ける時であり、より大きな天の祝福を受ける時だ。打たれる時その期待感をしっかり持って、打たれれば打たれるほど大きな恵みがくると信じて事に対するべきだ。いい時があって悪い時がある。高い時があって低い時がある。全てがうまくいく時があって全くうまくいかない時がある。そんな波を幾度も幾度も超えて行くわけだけれども、あるサイクルで大きな波が来るし、さらに特別な長期的サイクルでとてつもない波が来る。そんな時は私の次元が上がる時、霊的位相が上がる時だ。

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