初対面でありながら、私の差し出す手を嫌がることもなく、しかし幾分躊躇を覗かせながら受け入れた。表情こそぎこちないものの、視線だけは私から離すことはしなかった。その最初の出会いから一週間余り、何の準備もなく彼女との生活が始まることになる。長旅の疲れからか、翌朝彼女が目覚めたのは9時を回っていた。見慣れぬ部屋を物音も立てずに抜け出し、私と妻がいるリビングの入り口で立ち止まっていた。視線を落として朝刊に目を通している二人だったが、入り口で立ち止まっているのを最初に目にしたのは妻だった。泣くでもなく声を発するでもなく、右手で頭をかきながら結構な長い間その場に佇んでいた。彼女なりに状況を把握しようと試みたのだろう。しかし覚悟を決めたのか、肩を上下させて大きく一息すると私と妻が座っているソファーにおそるおそる近づいて来た。そして妻が手を差し出すと、そのまま手の内にゆっくりと抱き寄せられた。初日は全てに於いて素直だった。抗う様子を見せるでもなく、かと言って必要以上に愛想を振りまくでもなく、淡々と言われるまま従った。オムツ替えと着替え、朝ごはんとミルク、そうやって落ち着きを見せると、片付けた布団に上ったり下りたりと一人遊びを始めた。親の不在でも泣き叫ぶこともないし、物を投げたり暴れることもなかった。一歳にしては落ち着いたものだと感心もしたが、幾分慣れた次の日からは主張もするようになったしけたけたと笑うようにもなった。嫌われる想定でいたものだから、素直に抱っこさせてくれるだけで愛おしい。祖父としての私の感情は、抱きかかえて小さな重みと伝わり来る体熱を受け取った時点でマックスになった。孫は可愛いと誰もがいうが、この手に抱いてみると、ただの可愛いでは言い表せない感情が一気に押し寄せた。見る物全てに関心を持ち、手にする物一つ一つを持ってきて私に手渡す。段差を上がったり下りたり、大きなスリッパの片方を小さな足に引っ掛けて歩いたり、そんな他愛もないことが面白いらしく、その都度振り向いて体を揺らして喜びを表す。遊び疲れて愚図ついて来たので抱っこしてミルクを与えた。哺乳瓶を吸いながら腕の中で寝息を立て始めた。私は上体を幾らか倒し、彼女をうつ伏せにさせた。その温かみを胸の上に感じながら、この平安が永遠に続けばいいと思った。この子の為だけに生活を翻弄される一週間を過ごし、そして明日は出ていくと言うその前日、この子が離れていくと思うと居たたまれなくて、感情を制御できない自分に戸惑った。決められた形での祝福に拘り、少なからずプッシュした時期もあった。お互いに好きだという感情だけで一緒になっても長続きしないものだと説教もしてみた。手を上げたこともあるし落胆したことも多々あったが、こうして孫を見せに帰りこの手に抱かせてくれたことで全ては帳消しになった。帳消しになるどころか誰よりも親孝行者だと思った。私は本当に幸せ者だと思い、親なる神様に感謝した。
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