2022年7月27日水曜日

今日の想い 1168

D.S.と言われる金融マフィアは、元々エホバ神を頂に戴く神霊集団が主体としてあって、それを経済的に保護する対象としての石工集団がその源流だ。要するにアベルカインの関係だ。私達は真の神を頂点に戴く神霊集団であって、神の摂理を地上で実体的に展開しようとする群れではあるが、もし摂理に殉ずる意志が無くなるなら神様は私達から去って行かざるを得ない。かつてはイスラエル民族が摂理を担ってきたが、イエス様を中心とするクリスチャンに交代し、そして真の父母を中心とする成約の群れが交代したわけだが、後天時代に入って旧約新約成約を超えた第四次アダム心情圏時代の第四アダムとして摂理を担っていく立場にある。この世が何を言い烏合の衆がどう喚こうが私達の中心、すなわち天の心情を相続した良心にとっては何の揺らぎもないはずだ。天に対してしっかりと垂直に固定されている。しかしそれはあくまで内的霊的なことであって、悪霊悪鬼が跋扈する地上の難度海を航海する為には蛇のように狡猾にふるまい大波を超えていく必要がある。今日まで歴史を超えて地上を牛耳ってきたD.S.がどれほど知恵に長け狡猾であるか、私達は彼らの何倍もの知恵を働かせ狡猾であるべきだ。御題目でみ旨だ摂理だと叫び続けても異様な目で見られるだけで摂理は進まない。そうではなくしっかりと地上の覇権を握る必要がある。マフィア関連の何某かの事件が起きるとして、マスメディアが彼等の首根っこを振り回すほどに攻撃するだろうか。メディアも普通の人間であって生命の危険や害が及ぶのは怖い。だから等閑な当たらずとも触れずのスタンスを取るのは目に見えている。要するに私達は何もしてこないだろうと彼等に舐められているからこの始末だ。私達はヤクザとは違うと思っているかも知れないが、実は血の杯を交わしアボジ主管の女性を戴いて夫婦の契りを交わしているという、ヤクザ以上のヤクザだという認識くらい食口として持つべきだ。かつて暴力的共産主義団体が幅を利かしていた頃、多くの食口は生命を賭してでもと言う想いはあったはずだ。その魂で腹の一つ二つも掻っ切り、指の何本か送ればメディアの連中もその恐怖と気持ち悪さで大人しくなるはずだ。要は私達の決死の覚悟だ。あの白熊ヤクザの決意と覚悟に我々はどうして劣ってしまうのか。メディアで言われている過去の活動がどうなのかと言うより、私達の摂理を担う気概、天を想う心情の欠如が、言われ放題やられ放題の現状に表れている。

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