摂理を先頭に立って担うべき立場であったことは言うに及ばない。しかしそうでありながら脇が甘いどころか裸同然の組織だった。敵も多く作ってきたし狙われどころが多すぎた。自分すらも守れないのにどうして摂理を担うことができるだろうか。そして今の混沌とした世界情勢の中で、安倍元首相も敵は多かったはずだ。関わった側からの言葉として声を大にできるとは思わないが、敵の多い教会と敵の多い安倍元首相を関わらせて仕留めようとする或る意図があっても不思議ではない。あんな簡素な、銃とも呼べないもので、生命の危険に及ぶ一発が放たれ、嘘のように命中し悪神の業が見事に働くとは未だに信じられない。そんな疑問を抱く者が数えるしかいないことはわかっているが、コロナ報道、ウクライナ報道と見てきて、マスメディアは真実とは程遠いことだけは確信できた。この事件にも陰謀が関わっているのでは、という疑問が私の中にあることは否めない。余りにもイメージの悪い教会を関与させれば、行動に若干の疑問はあったとしても教会叩きに目一杯舵を取れる。メディアの教会叩きに国民の目を釘付けにしている間に他の関与があるのではという疑問は消し去られ忘れられる。もしそうであったとしても、否そうであるなら尚更、摂理度外視の教会体質を悔い改めるべきだろう。皮肉にも、多くの食口を破産させ生活苦に追い遣り、祝福家庭としての誇りも失うほどに絞り出してきた金は、アベノミクス、コロナ給付金支援金、更には円売り加速の日銀金融介入で、円の色もなくなるほどにジャブジャブに薄められている。
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