2022年7月22日金曜日

今日の想い 1166

 食口達にとって教会が何を言いどう行動するかも大切なのかも知れないが、大激震が外的地震ではなく内的な地震として起こっているわけで、御母様の言葉こそが全食口には必要だろう。すぐにでも口を開かれると思って待ってはいたが、依然音沙汰はない。御母様に絶対的帰依を信条としている食口であれば、尚更待ち焦がれているに違いないし、そのことを知ってもおられるはずだが、黙しておられる。こうなるとそれぞれが自らに問い自らで考え、主体的能動的行動を取るしかないと言うことになる。救援摂理を担う神霊からすれば、摂理進展に寄与しない群れは外されて当然だろうし、ある意味アボジの「教会時代は終わった」という御言葉は外的圧力からではあっても取り敢えず成就したことになる。食口がこれからの摂理を担う位置に立つかどうかは帰依のベクトルを良心に向かわせることができるかどうかであり、その方向転換、即ち霊的な磁極転換できる自我を備えることができるかどうかにかかっている。そして霊的な磁極転換が地上の磁極転換に耐えうる人類としてサバイブする。この、今直面している試練を乗り越えてこそ真の父母の勝利圏を相続した者として天が認知するはずだ。食口の希望は外にあるのではなく、内面世界、更には霊的世界にあるのであり、その原因世界で掴んだもので外的世界を牽引していく。アボジが残した御言葉は豊穣の海だ。ただ外的に字面を追うのではなく内的な意味での訓読でこそ、豊穣の海に至る河の流れ、御言葉の流れを私の内外に用意できる。

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