2022年7月13日水曜日

今日の想い 1162

 会見を見てしまった。見ないでおけるものならそうしたかった。冷たい会見だった。板挟みの状態で、感情を見せないように見せないように、押し殺した苦痛を隠そうとすれば冷たい会見にならざるを得なかった。そしてその冷たさを全食口は同じようにひきずりながら、対社会に応対していかなければならない。元首相の喪中が始まったように、私達の中に息衝いていたものも喪中期間が始まった。全ての言動、行動が差し控えられ、外からの物言わぬ圧力で強制的に総括を余儀なくされる。本来なら内面から総括されて主体的に刷新を図るべきものを、強制総括されることになる。食口は生きて死を経験する。喜びの昇華ではなく、地獄の死を経験する。日本食口が、さらに日本人が、死を通過し乗り越えることで主体性自我を復帰する。そうして初めて新しい次元で生きる。三日間の暗闇がその通り三日なのか、それとも三年なのか、はたまた三段階なのかわからないが、暗闇という死を通過するのは避けられない。コロナを通過し、ウクライナ戦争を通過し、人間は通過しているうちに慣れてしまう。人間という現金な存在は良くも悪くも慣れてしまう存在で、暗闇の中にあっても慣れてしまうだろう。だから国民総批難を被弾している今の痛みこそが大切で、痛みから逃げずにそのままに甘受しながら、蕩減期間を経ることで、私に語り掛ける良心存在、地獄の悲鳴の中から芽を出す新しい希望を必ず見出すことができる。それがないのであれば、神と神霊は存在しないと言うことになる。

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