もちろん政治との関係に重点を置かれたインタビューであったことはわかっている。元首相との関係、自民党候補者や他党候補者との関係を問われている訳で、そうなるとそういう話にしかならない。しかし敢えてそういう話に留めようとしているふしが伺えて私としては納得できない。記者がどこまで突っ込もうとしたかはわからないが、悪名高い文春の記者であればもっと掘り下げて関係性の裏にある事情を敢えて白日の下にする勢いが欲しかった。お行儀のよい記事に終始しているのはいただけない。ナントカ商法であるとか献金ノルマや高額献金、本部の反日姿勢など突っ込まれ、道義的責任からして説明に困る内容には触れられたくないだろう。しかしすでにマスメディアによって反社組織として拡散されている以上、さらに世間からも異質者を見る目でしか見られない以上、どんなに綺麗ごとに収めようとしても無理な話であって、敢えて開き直って国を想う故の行き過ぎた行動だったと釈明して許しを請い、その上で為政者よりも誰よりも国を憂い救国の想いを感情の猛るほどに伝えるべきだ。責任ある立場では無理があるなら、死にかけた一世信者でも言葉足りない二世信者でもいいから口を出せばいいと思うのだが、未だピラミッド組織で活動している以上出る杭として飛び出すことを上も皆も許さないだろう。そうなるとやはり外からの力が必要なわけで、どれほど理不尽であっても解散命令請求は飲まざるをえない方向に向かうだろうし、天の願いの流れからしてもそうなってしまう。ひょっとしたら教会トップも防御一辺倒だった立場から戦闘モードに入ったのかと教会復活の期待もしたが、全く的外れだった。
2025年3月12日水曜日
今日の想い 1363
文春にUPF会長のインタビュー記事が載った。一読して、彼も二世食口にありがちの優しさや人の好さが全面に出ていて戦いには不向きだなと、失礼にもほどがあるが読後の第一印象としてそんな感想を覚えた。記者も最後に記しているように、怒りよりなにより残念だと本人は述べている。残念、、? 残念っていったい何だ。おそらく政治家が良く使う表現として遺憾というのがあるがそれと同じなのだろうか。そうなると当たり障りのない言葉を述べただけであって、何もせずに受け入れるということだろう。教会長ではないにしても、全日本食口の代表位置にある者が二年の間を置いてインタビューに応える決意が「残念」を表明することだったのだろうか。全日本食口の誇りと人格を蔑ろにされた事件と経緯によって魂の死を宣告されたにも拘わらず、聞かれたままを受け応えて訴えることの何一つないインタビューは、少なくとも私は愕然とした。義憤の怒りをチラつかせる言葉のひとつでも聞きたかった。結局何もなく期待を込めて差し出した価格1200円が恨めしかった。弁当の一つでも買って腹を満たしたほうが良かった。統一の信仰はいつから闘わないことを是としたのだろうか。アベルカインも夫婦関係も、もちろん心と体も、ひとつになることが願いであって、しかし一つになること=闘わないこととはならない。きれいな信仰的言葉を並べて、言われたことや取り決められたことを守り通して、私は何の罪も犯しませんでしたと報告する、それが食口のあるべき姿勢だろうか。そんな人生を神は願って人間を創造したのだろうか。感情を制御できなくてあらぬ方向に飛び火するようだからやめておくけれども、日本食口の中に神の代弁者はいないようだ。統一食口が口を開かずに誰が神の悲しみや怒りを国や世界に叫ぶのだろうか。
2025年3月5日水曜日
今日の想い 1362
愛といえば人間関係ばかりに向かいがちだが、万物を愛するという意識を敢えて意識的に持たなければ万物主管はできない。生きていれば食べるだろうし、住むだろうし、そして着用する。どれ一つとっても当然のこと万物は関わってくる。動植物には情がいくとしても無機質の万物にどのように情を持って愛するのかと問われるが、愛さなければ何ものであってもその本質と関わることはできないし、それは愛の主管とは程遠い唯物的な関係性でしかない。アボジははっきりと地上の万物ですら天国に連れて行くと語られている。地上のヒエラルキーとしては人間界の下に動物界があり植物界があり、そして鉱物界がある。人間界が堕落して以来もっとも神が接近でき愛せる対象として鉱物界がある。だから鉱物界に関心を持ち愛して主管することはより神に近くなる。俗にいうなら自然の美しさや優しさ、更には尊さやら厳しさから神の一面を垣間見ることはできる。しかしそれらも表面的なものに過ぎなかったと思えるほどに本質は深いものがある。私達は稲妻の現象を自然の陰陽の情交だと教えられたけれども、原理的にそうだと知識として理解するに留まらず、内的霊的に本質を受け取れるほどに相対する情を私の中に育てなければならない。今アメリカを始めとして世界では通貨による信用崩壊と資産の大再配分が行われている。その背後には万物達の主管者達に対する怒りと恨みが結集され、大津波の如くのうねりとなって国に社会に個々人に襲い掛かっている。本質を知らない者達は安全な資産を求め躍起になり、或いは疑心暗鬼となってそれが逆手に取られてバブル資産を失う。万物が本来どれほど叡智に溢れているか、その鋭利な切れ味は静寂と狂気を併せ持っている。地上では万物故の地獄を見るはずだ。堕落した人間ですら愛のある所に集まるように、万物も同じで必ず関心を持ち情をそなえ愛する者に集まってくる。石ころの中にさえ、固く閉ざして語らないが叡智や心情としての本質が備わっている。愛によってすべては創造されたのであれば石ころの一つだってそうであり、愛に相対できる本質を備えている。父母様の子女である食口であるなら万物に対してもこの世と同じような唯物的扱いをして欲しくない。人間堕落の結果として講論に記されているように、被造物は実に切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。固く閉ざして語らない万物のままで放置しておいて、共に天国に連れていけるとは思えないし、万物を愛で主管できない自分自身も天国に行けるとは思えない。