2025年3月5日水曜日

今日の想い 1362

 愛といえば人間関係ばかりに向かいがちだが、万物を愛するという意識を敢えて意識的に持たなければ万物主管はできない。生きていれば食べるだろうし、住むだろうし、そして着用する。どれ一つとっても当然のこと万物は関わってくる。動植物には情がいくとしても無機質の万物にどのように情を持って愛するのかと問われるが、愛さなければ何ものであってもその本質と関わることはできないし、それは愛の主管とは程遠い唯物的な関係性でしかない。アボジははっきりと地上の万物ですら天国に連れて行くと語られている。地上のヒエラルキーとしては人間界の下に動物界があり植物界があり、そして鉱物界がある。人間界が堕落して以来もっとも神が接近でき愛せる対象として鉱物界がある。だから鉱物界に関心を持ち愛して主管することはより神に近くなる。俗にいうなら自然の美しさや優しさ、更には尊さやら厳しさから神の一面を垣間見ることはできる。しかしそれらも表面的なものに過ぎなかったと思えるほどに本質は深いものがある。私達は稲妻の現象を自然の陰陽の情交だと教えられたけれども、原理的にそうだと知識として理解するに留まらず、内的霊的に本質を受け取れるほどに相対する情を私の中に育てなければならない。今アメリカを始めとして世界では通貨による信用崩壊と資産の大再配分が行われている。その背後には万物達の主管者達に対する怒りと恨みが結集され、大津波の如くのうねりとなって国に社会に個々人に襲い掛かっている。本質を知らない者達は安全な資産を求め躍起になり、或いは疑心暗鬼となってそれが逆手に取られてバブル資産を失う。万物が本来どれほど叡智に溢れているか、その鋭利な切れ味は静寂と狂気を併せ持っている。地上では万物故の地獄を見るはずだ。堕落した人間ですら愛のある所に集まるように、万物も同じで必ず関心を持ち情をそなえ愛する者に集まってくる。石ころの中にさえ、固く閉ざして語らないが叡智や心情としての本質が備わっている。愛によってすべては創造されたのであれば石ころの一つだってそうであり、愛に相対できる本質を備えている。父母様の子女である食口であるなら万物に対してもこの世と同じような唯物的扱いをして欲しくない。人間堕落の結果として講論に記されているように、被造物は実に切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。固く閉ざして語らない万物のままで放置しておいて、共に天国に連れていけるとは思えないし、万物を愛で主管できない自分自身も天国に行けるとは思えない。

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