文春にUPF会長のインタビュー記事が載った。一読して、彼も二世食口にありがちの優しさや人の好さが全面に出ていて戦いには不向きだなと、失礼にもほどがあるが読後の第一印象としてそんな感想を覚えた。記者も最後に記しているように、怒りよりなにより残念だと本人は述べている。残念、、? 残念っていったい何だ。おそらく政治家が良く使う表現として遺憾というのがあるがそれと同じなのだろうか。そうなると当たり障りのない言葉を述べただけであって、何もせずに受け入れるということだろう。教会長ではないにしても、全日本食口の代表位置にある者が二年の間を置いてインタビューに応える決意が「残念」を表明することだったのだろうか。全日本食口の誇りと人格を蔑ろにされた事件と経緯によって魂の死を宣告されたにも拘わらず、聞かれたままを受け応えて訴えることの何一つないインタビューは、少なくとも私は愕然とした。義憤の怒りをチラつかせる言葉のひとつでも聞きたかった。結局何もなく期待を込めて差し出した価格1200円が恨めしかった。弁当の一つでも買って腹を満たしたほうが良かった。統一の信仰はいつから闘わないことを是としたのだろうか。アベルカインも夫婦関係も、もちろん心と体も、ひとつになることが願いであって、しかし一つになること=闘わないこととはならない。きれいな信仰的言葉を並べて、言われたことや取り決められたことを守り通して、私は何の罪も犯しませんでしたと報告する、それが食口のあるべき姿勢だろうか。そんな人生を神は願って人間を創造したのだろうか。感情を制御できなくてあらぬ方向に飛び火するようだからやめておくけれども、日本食口の中に神の代弁者はいないようだ。統一食口が口を開かずに誰が神の悲しみや怒りを国や世界に叫ぶのだろうか。
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