2025年3月30日日曜日

今日の想い 1371

 説明の話しぶりや質疑応答からして、どうも教会は解散命令請求が地裁で認められるとは思っていなかったというのが伺える。日本が法治国家であることを信じて疑わなかったということだろう。今までの経緯からしても法に訴えてきた様々な結果からしても、法治国家の体を装ってはいるが実態は異なっているのは明白だ。トップですらそうなのに私達がどれほど社会に疎いか、という現実をしっかりと凝視する必要がある。私達に賛同して声を上げて下さる方達の私達に対する要望意見として、黙っていずに声をあげて欲しいというのが複数あった。それは組織としておとなしすぎるという意味だとは思うが、実は教会は断固としてそんな横暴は許さないという意志もなければ義憤の感情も見出せないと言いたいのがおそらく本音だと思う。教会が行儀も良く言葉も選んでの説明は信仰観と人格からくるものなのかも知れないが、もっと人間味溢れる感情を吐露して映像を受け取る全国民に訴えかけるべきで、それは幾らか芝居じみていたとしてもそうすべきだったと思う。拉致監禁の実態を言葉だけならべても、普通は誰もその痛みも受け取らなければ悲惨さも受け取らない。言葉を並べるのではなく言葉を通して心に届く感情や想いを訴えるべきだろう。トップの立場でそれができないのなら誰かサブを立ててでもすべきだろう。私達が日本を想い、生命をかけて日本救済摂理に邁進してきたのであれば、国民の琴線に触れる一言だに出ても良さそうなものなのに、あれほど全国民が注視する場面で行儀よくておとなしいのは、結局それだけの歩みでしかなかった、日本国を想う愛に欠けていたと言われてもどうしようもない。独善的な信仰に走ってしまったことや道義的責任を問われる活動をしてしまったことも確かに悔やまれるけれども、それ以上に献金や伝道の数合わせに疲れ果てたのか、私達の中にいつのまにか摂理とみ旨に熱く燃える魂を失ってしまったことは何よりも悔やまれる。

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