2007年11月19日月曜日

思い込みに巣食う化け物

組織のあり方はそれぞれの組織で違っている。それは組織の性質とも体質とも言える。組織のあり方として決まったあり方、正しいあり方などと言うものはない。ビジネスに於ける組織も同じで、決まったビジネスのあり方正しいあり方などない。敢えて言えば我々の組織は神の願い、摂理をその存在の動機としている以上正しい組織(=天が取ることができる組織)であるとも言える。しかし我々の組織には内に巣食うふたつの妄想が存在する。ひとつは我々の外的実力、とりわけビジネスに関する実力はセンスもなく劣っているという妄想、今ひとつはビジネスと信仰は別物だとする妄想。確かにイメージとしては世間離れした時空で自己否定というお題目を強いられた孤島で信仰意識を繋いできた、と言う感覚がある。今更下野してもその知識と思考技術において大きな差を感じるのはその通りだ。だからと言って自分を卑下するのは正しくない。ひたすら神を視点の遥か向こうに置きながらも天の願いに応えようとしてきた、その数十年の内容が足を地に付けた立場(この世的現実)では無意味なものとの認識はおかしい。何事に於いても事を為すということは判断の連続を意味する。目標(個人的には願い)を手にする為の正しい判断を積み重ねていって自分のものとなる。その判断、決断をどういう根拠と背景で為しているかというところに意識を向けるべきだと思う。無神論者であってもその判断にはこうすればこうなるはずだと言うある意味信仰がそこにある。自分なりの信じるところがあって判断をしていく。私達がその判断をしていく時に、自分を主体とした自分が確信するところの判断をしているだろうか。ここが最大の弱点であり化け物がはいりやすいところだという認識を我々は悟るべきだ。判断をするときに自分主体の意識がない。そこに魂は不在で神も手を付けられないと同時にサタンにとっても何の意味もないような抜け殻状態であることに気付くべきだ。判断のひとつひとつに絶対的信仰が入れば神様と霊界の絶対的共助を得ることが出来る。宇宙が自分と共にある感覚がそこにある。知識がないなら知識が宇宙からやってくる。センスがないならセンスが宇宙から届く。その感覚すらなくて勝利された御父様の次元に届くことなどありえない。霊人体と肉体が合わさって人間としての基本形態があり、霊人体を主体として肉体との関係性でその人格が形成されるように、どういう想い(ミッション)が主体になっているかでその身体としての組織のあり方、ビジネスのあり方が決まる。ビジネスイコール利益という発想はあまりにも貧弱すぎる。しかし未だに儲け儲けという単純思考の怪物が我々の組織に跋扈する。儲けて捧げる、という二段構えだ。儲ける為に蹴落としてもというそこに崇高な霊的意識存在が入り込む隙間はない。せいぜい金貨銀貨を祭り上げる御利益信仰の類だ。解放釈放圏に入った立場でありながら未だに旧態以前の価値意識しかない。意識がそんな状態でありながらモダンなレストランだハイクウォリティーなフードだと外面だけを繕おうとする。外面も大切だがその行動にこの世の実力に遥かに劣る我々だという僻み(ひがみ)が見え隠れして嫌気がさす。そこに邪悪な霊的存在が入り込み、本当に見据えるべきものを曇らしている。

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