2014年7月27日日曜日
責任分担という天宙的概念
アダムとエバが完成する為には責任分担を果たさなければならなかった。堕落は、人類の真の父母となるべきアダムとエバが、取って食べてはならないという戒めを破り、責任分担を完遂できなかったことによる。ルーシェルの誘惑がなければ戒めを破ることはなかったかも知れないが、責任分担という観点から見る時、誘惑を越えなければ責任分担の完遂は為せない訳で、堕落してしまったからルーシェルはサタンになったが、もし誘惑を跳ね除けて戒めを護っていたなら、ルーシェルの誘惑は責任分担完遂の為に大きな一役を買って出たことになる。その意味では堕落したからルーシェルは神様と人類の怨讐サタンになってしまったが、アダムとエバが誘惑の試練を勝利していたなら彼等はルーシェルに感謝し、ルーシェルは完全に彼等を慕い侍り、ルーシェルは直接主管圏に共に入り人間のあらゆる喜びを創造していく助け手になったはずだ。韓国が主の国として立つ為には第三イスラエルとして立ち、天宙的なカナン復帰路程を出発する為に、40日サタン分立基台が必要だった。この40数に該当する苦役期間を受ける為に日本の40年統治がある。韓国は日本の統治を恨みとして抱いているけれども、日本が現れずとも何処かの国がサタン的役割を果たす必要があったのも事実だ。しかしその事実を日本が口にしてはならず韓国自身がそれを認めて日本を許さない限り日本はうかばれない。御父様が父の国韓国に対して母の国として怨讐日本を立てられたのは、韓国にとっては日本を許し愛さざるを得ない状態に敢えて追い込まれたという、真の父でしか発想できない深い摂理的内容がある。神様が、エバに近付いて誘惑するであろうルーシェルに対して、アダムとエバに対する位置を任されたのも責任分担完遂への深い神様の思惑があってのことだ。許せない者を愛するとか怨讐を愛するとかという事柄と、責任分担の完遂とは切っても切れない関係性にあるはずだ。逆を言えば責任分担の完遂には必ず許して愛する怨讐的存在がなければならないということでもある。そうなると責任分担という概念には、私達が思っている地上的な意味で責任を果たすという意味以上に、愛せない者を愛する、すなわち恩讐を愛するという意味合いの方が強いと思われる。御父様は責任分担という言葉を発見されたのではなく発明されたとある。人類の堕落の問題や復帰の問題、どうして完全な神様が不完全な堕落しうる人間を創造したか、あるいは堕落の位置から復帰して救われる為にはどうすべきかと言うような解決しようのない問題に対して、この責任分担という概念の光で照らすことによって初めて解決できると言う、歴史を生きたどんな聖賢聖者も解くことができなかった天宙の次元方程式を発明されたことになる。
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