2014年7月28日月曜日
責任分担への意志から私の血統内容が見て取れる
よって人間の責任分担とは恩讐である愛せない者を愛するのであり、愛するという能動的な姿勢でこそ前進できるのであり、それは前進する私を後押ししてくれている過去に前進してきた全ての存在の悲願を受け継いでいるから生まれ出でたのであり、生きて前進できる訳でもある。だから私は遠い過去から現在の私までのその歴史的路程で、支えてくれて後押ししてくれている全ての関わっている存在に対しては受動的愛である感謝の念を供えてこそ蕩減原則に合うようになる。今日は24回目の七.一節を迎えた。縦横の八段階を勝利され、長子権、父母権、王権を立てられた御父様は、今度は子女である私達にその勝利圏を相続されるべく、眞の父母の責任を全うされた位置で子女の責任へと移された。よってこの日が氏族メシヤの出発の日でもある。基元節の前に御聖和されてしまった御父様であり、新しい歴史、後天時代の出発は地上に残られた御母様を中心に前進している。残られた御母様は聖霊実体であられる御母様だ。2000年前は復活されたイエス様が弟子達を集められて、ペンテコステが彼等に下りて内的霊的に再出発したわけだけれども、再臨主の時代である現代は、御聖和されて後、生きた聖霊実体を私達は戴いて私達は聖霊実体と一つになることによって私達祝福中心家庭が聖霊の役事を為していくことになる。私達は御母様がどのように現状を捉えられ、どう向き合われ、何を意志されようとしておられるのか、その一挙手一投足を研究し心魂の一つ一つの動きまでも把握し、心情の深みに於いてひとつになって初めて一体圏の位置で私達の意志に聖霊が宿ることになる。この世の者達が私達を見て聖霊が生きて働いていることを実感するほどにならなければならない。御母様との一体圏に入ることが出来れば必ず聖霊が役事する。私自身に聖霊が役事する以上に私が聖霊の役事をするようになる。清平の摂理が出発した、その御父様の願いが何処にあるかと問うと、受動的には癒しの役事を受けることだけれども能動的には私が聖霊の役割を果たすべく、聖霊が私を通して地上に働きかけることにあるはずだ。先祖の解怨や祝福も、絶対善霊となった先祖の霊達が私に働きかけて、私が聖霊実体の御母様の代身となって、聖霊の役割を果たすことを願われている。だからどのよにして御母様との一体圏に入れるかが大きな鍵となる。過去の流れから私に受け継いだもの、責任分担として私から前へ前へと放たれるもの、私を通過する過去から未来へのその流れの中に一貫して働いている衝動の在り様こそが、私の血統圏は何処に所属しているのか、神なのかサタンなのかの正体だ。
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